高知県土佐市上ノ村遺跡で中世山泰墨書土器(長さん)
今回は四国高知県土佐市の上ノ村遺跡
で、中世とみられる須恵器の破片に、
漢字で「山奉」と書いてあるように見え
る遺物出土の話題である。
遺物の写真がweb上に公開されて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所発掘報告書デタベース、
全国遺跡報告総覧に登録公開されている。
pdfファイル名は以下の通りである。
9593_1_上ノ村遺跡4.pdf
発掘報告書の名称は以下の通りである。
高知県埋蔵文化財センター発掘調査報告書第128集
上ノ村遺跡Ⅳ、2012.3、高知県教育委員会・
財団法人高知県文化財団埋蔵文化財センター。
発掘報告書末尾の抄録によると遺跡の
場所は、高知県土佐市新居上ノ村字土居
屋敷5100-1。遺物が出土したのは、
西暦2006年から2009年の間のよ
うである。
遺物の成立年代は、遺物は1-6区の
包含層2で出土したが、発掘報告書第
216ページ付近の記載によると上層で
あり、中世成立と見られているように私
には認識される。
遺物の写真は発掘報告書写真図版
第64の下から3段目右端に在り、遺物
番号第403番との旨ナンバリングされ
ている。陶器の破片のように、私には見
えたが須恵器の、ハネ釜の一部との事で
ある。
上図のように遺物の、ほぼ中央少し下
に濃い目に漢字で、「山奉」と書いてあ
るように私には見える模様がある。
中世に土地の領主が居する山城の山を
平野部から見て、領主を敬い奉じている
のではないかと私的に疑われる。太古の
昔から綿々と続く営みであろうか。
(2023/04/29)
で、中世とみられる須恵器の破片に、
漢字で「山奉」と書いてあるように見え
る遺物出土の話題である。
遺物の写真がweb上に公開されて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所発掘報告書デタベース、
全国遺跡報告総覧に登録公開されている。
pdfファイル名は以下の通りである。
9593_1_上ノ村遺跡4.pdf
発掘報告書の名称は以下の通りである。
高知県埋蔵文化財センター発掘調査報告書第128集
上ノ村遺跡Ⅳ、2012.3、高知県教育委員会・
財団法人高知県文化財団埋蔵文化財センター。
発掘報告書末尾の抄録によると遺跡の
場所は、高知県土佐市新居上ノ村字土居
屋敷5100-1。遺物が出土したのは、
西暦2006年から2009年の間のよ
うである。
遺物の成立年代は、遺物は1-6区の
包含層2で出土したが、発掘報告書第
216ページ付近の記載によると上層で
あり、中世成立と見られているように私
には認識される。
遺物の写真は発掘報告書写真図版
第64の下から3段目右端に在り、遺物
番号第403番との旨ナンバリングされ
ている。陶器の破片のように、私には見
えたが須恵器の、ハネ釜の一部との事で
ある。
上図のように遺物の、ほぼ中央少し下
に濃い目に漢字で、「山奉」と書いてあ
るように私には見える模様がある。
中世に土地の領主が居する山城の山を
平野部から見て、領主を敬い奉じている
のではないかと私的に疑われる。太古の
昔から綿々と続く営みであろうか。
(2023/04/29)