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秋田県横手市田久保下遺跡で古墳期山泰墨書土器(長さん)

 今回は、かつての奥州、秋田県横手市の
田久保下遺跡で古墳期の小さな甕型土器に、
奥羽山脈の山等を奉じて「山奉」と墨書
された疑いのある遺物が、出土していると
の旨の紹介である。日本はさほど大きな島
国では無いので、漢字の伝来に「手前」も
「奥」も極端には、無かったのではないか
と疑われる。
 遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録公開されている。
 pdfファイル名は以下の通りである。
11482_2_秋田ふるさと村仮称建設事業に係る
埋蔵文化財発掘調査報告書.pdf
 発掘報告書の名称は以下の通りである。
秋田県文化財調査報告書第220集
秋田ふるさと村(仮称)建設事業に係る埋蔵文化財
発掘調査報告書-富ケ沢A・B・C窯跡・田久保下遺跡
・富ケ沢1号-4号塚-、1992.3、秋田県教育委員会。
 今回紹介の遺物はこのうち田久保下遺跡
で、出土したようである。各遺跡は接して
おり、全体として半径数百メートルの一定
地域のようであり、東側の一部が田久保下
遺跡と名がついているだけのようである。
 発掘報告書冒頭序論2.調査の組織と構
成によると遺跡の場所は、秋田県横手市
婦気大提字田久保下62-1。遺物が出土
したのは、西暦1990年前後の事のよう
である。
 遺物の成立年代は遺物は第310土壙墓
から出土した、小型の甕型土器と取られて、
発掘報告書第256ページ付近の記載によ
ると、古墳時代成立の墓の副葬品と見られ
ているようである。
 遺物の写真は、発掘報告書第2写真図版
pdfの写真図版第90の最上段右にあり、
遺物番号で田久保下遺跡出土土器の第11
番との旨、ナンバリングされている。

秋田ふるさと村山泰.gif

 上図のように、側面と見られる部分に、
縦に漢字で、煤が多いものの「山奉」とも
読めるような暗い模様があるように私には
見える。ひょっとすると以上は誤読で、本
当は「山大王」かもしれない。
 奥州の古墳時代に、土壙墓に埋葬される
人物と交流の有る者の中に、「山奉」等と
漢字で書ける程度の識字可能な人間が、
古墳期に既に、存在した疑いが有るように
私見される。(2023/04/18)

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