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本ブログ版”今に残る二人制チャトランガ”非残存(長さん)

最近になり、大内延介氏の”将棋の来た道”
(メコン社、西暦1986年)を読み返していて
表題の件について、読み間違いが有るのに気がつ
いた。本ブログで今までインドの”今に残る二人
制チャトランガ”と称していた、マークルック(
マックルック)で、兵が2段配列のような象棋は、
インドでは、実際には今は残っていないゲームで
ある。ただし、”文献で確実に辿れているようだ
という意味では、残っている”

らしい。

 もともとこのゲーム種の発掘経過は、大内延介
氏が、インドのマドラス市のチェス協会の、
パラスラム氏から聞き取ったものであり、
~14世紀(?)のものとの事ようである。ただ
し、もっと後まで、残っていた可能性もあるとみ
られる。
 本当のインドの今に残る2人制チャトランガは、
将棋天国社の世界の将棋で”チャトランガ(正確
には、チャツランガ)2人制”と表現されている
ゲームの事のようである。これは、

イスラムシャトランジで兵の成りが、相手陣初期
配列駒に成るのであって、大臣ではないルールの
象棋の事である。

なお”インドのシャトランジ”と大内氏が、別の
インド人で、たぶん観光協会のジャベット氏に聞
いて、表現しているゲームは、

大臣駒が女王動きである点で、イスラムシャトラ
ンジとは違う。

本ブログでは、インドシャトランジの大臣/副官
が猫叉動きだと、何箇所かで勘違いして、紹介し
てしまった可能性がある。
 その他、まとめるてみると次のようになる。
1.”インド二人制古チャトランガ”
(ビールーニ反転以前のインド古代ゲーム。象が、
恐らく飛車から角行へ、途中で変化。)
2.インドの”今に残る2人制チャトランガ”
3.”世界の将棋の2人制チャトランガ”
4.大内延介氏の指した”インドのシャトランジ”
 そして世界の将棋では、以上の4タイプのゲー
ムに続いて、第5番目の
5.”インドのシャトラング”(世界の将棋では、
チャトランジあるいはシャトランジと表現)
が、紹介されている。これは4の大内延介氏の”
インドのシャトランジ”よりも、更に西洋チェス
に近いゲームである。すなわち、駒の動きに関し
て、兵に初期2升目動きが無いのと、王が一度だ
け八方桂動きが許されるという点を除いて、駒の
動かし方が、全部西洋チェスと同じという、近代
インドゲームの事のようである。なお5.のゲー
ムの兵の成りは、インドの、相手初期位置駒に成
るという型であり、西洋チェスのように、王駒以
外駒への、自由成りでは無い。
 なお、王と大臣の配列が、上のゲーム番号で、
3~5について、王右、大臣左(点対称だが、
左右が、古代と逆)へ変化したとの事である。
 以上の事から。つまり2.について。私が個人
的に知っている情報が、元々たいへん少ないのだ
が、とにかく、

2.は、今は指されていないゲームらしかった

ので、本ブログの今までの認識は、正しくなかっ
たようである。しかし混乱を避けるため、表現方
法は、今後も変えないで統一する。またインドの
将棋について、梅林勲、岡野伸氏、将棋天国社、
2000年の『世界の将棋』には基本的に、2人
制の小将棋関連型に関しては、これ以上の情報が、
特に見当たらないようだ。(2020/04/20)

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大局将棋駒の動きのパターンルールは情報限定(長さん)

中将棋と日本将棋では、個別にルールが
定義されるので余り問題が無いのだが。
大将棋以上になると、

踊り動き

というふうに、動きのルールではなくて、
広範な動きのパターンルールが発生する。
踊りについては”着地点以外他駒相手自
駒差なし制限なし跳び越えで、相手駒途
中取り自由。その条件で、方向一定の
正行度(後戻り不可)と、玉動き繰り返
しの不正行度がある”との、大阪電気通
信大学の高見友幸氏の提案を、目下本ブ
ログでも受け入れている事は前に述べた。
ただし、”普通は境界型であり、充填型
は獅子と狛犬等、限られた場合”である。
しかし、踊りについては諸説有る。
 今回は、大局将棋の、今は行方不明の
大橋文書”大局将棋駒”に、動きのパター
ンルールに関して、どの程度の情報が有っ
たのかを、大阪商業大学アミューズメン
ト産業研究所の梅林勲氏と岡野伸氏執筆
の、将棋天国社、西暦2000年の、

”世界の将棋”の記載から推定する。

結論から書く。

天竺大将棋の格有跳び越え等以外、注記
が無かった模様

である。
 では、論を開始する。
 世界の将棋では、大局将棋の個々の駒
種の動かし方ルールは、次のような順序
構成で説明されている。
1)平駒名(左右に有るかどうか)とそ
の成り駒名をリスト。
2)裏も含めて駒種ごとの、記号による
駒の動かし方ルールを表現。
ただし、以下については、注記がある。
鳩槃については、斜めへの特殊な跳び。
”獅鷹、法性、奮迅については、獅子の
動きを兼ねる”との旨の注記。
四天王、大鷲、大鷹、霖鬼については、
”駒を飛び越して走りが出来る。”との
旨の注記。
以上がある。
3)その他のルールとしてつぎの旨が
記載。
①成りは敵陣突入。
②取捨て。
③奔鷲が大阪電気通信大学の狛犬の動き
に加えて、戻りで通過相手駒取りもでき
る。但し原点から見て、更に向こうの、
マイナス方向動きまでは、不可の旨の説
明がある。
④+++の説明については、駒3つまで
跳び越えだと解釈した事。ただし元文献、

大局将棋駒に説明が無い

という注意書きがある。
⑤天竺大将棋駒と猛龍、飛鰐についての、
格有り跳び越えパターンルールの説明。
以上の事から、最後の3)の⑤のように、
天竺将棋大駒の格有り跳び越え、駒の動
かし方パターンルールについては、原本
になんらかの、注意書き部での説明があっ
たとみられる。しかしながら、

3)の④から、将棋天国社、世界の将棋
の大局将棋の駒の動かし方パターンルー
ルは、原本の記号のパターンから、梅林
氏等が、個人的に割り出したものである

事が判る。
 原本の”大局将棋駒”の駒の動かし方
ルールが、前に述べたように、
水無瀬兼成の将棋纂図部類抄の泰将棋に
近い事から、大局将棋は泰将棋同様の、
観賞将棋を大橋家の者とみられる、デザ
イナーが目指して作成したものであり、
現在行方不明の文書自体も、

体裁を水無瀬兼成の将棋纂図部類抄の
泰将棋形式にした可能性が大

だと、私は推定している。
 であるから、初期配列図の中に挿入さ
れているとみられる、

Ⅰ:四天王、大鷲、大鷹、霖鬼型ルール

と、恐らく注釈部が末備に有って、そこ
に記載されているとみられる
Ⅱ:大将、副将、飛将、角将、猛龍、
飛鰐、の格有り駒跳び越えルール。
Ⅲ:奔鷲の拡張狛犬型動きのルール。
以外、

肝心の踊り型動きのルールも含めて

駒の動かし方パターンルールの説明は、

原書の将棋大橋家の大局将棋駒には無い

のではないか。以上のように結論されそ
うである。ただし”Ⅰ:四天王、大鷲、
大鷹、霖鬼型ルール”の説明の一文が、
”制限無し跳び越え”の事で、仮に合っ
ていさえすれば、大局将棋の指し方にコ
ツがあって短手数で終わる。つまり、結
局大局将棋は、攻撃大過多で”出来の悪
い将棋”であるという大勢に、影響は無
いと推定される。(2020/04/19)

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長野県松本市の松本城から江戸時代の歩兵駒(長さん)

長野県は面積が広いが、将棋駒の出土は少なく、
有名な物として、長野県上田市近郊の塩田城か
ら出土した、裏竜馬角行駒がある。これについ
ては出土年は古く、西暦1976年頃の事であ
る。その後、長野から木製品の将棋駒は、ほと
んど出土したとの旨の情報が無いが、ようやく
最近2015年になって、表題のように、松本
市の松本城から、江戸時代の歩兵駒が出土した
という情報が、web上でpdfの形で見つか
った。報告会のパンフレットと予稿集のようで
ある。駒が報告されたサイト名は、以下の通り。
https://www.city.matsumoto.nagano.jp/miryoku/bunkazai/hakkutsu/hakkutuhoukokukai.files/siryou2015.pdf.pdf

PDFファイル名は、siryou2015.pdf.pdf
となっている。将棋駒は、オモテ面が歩兵で、
予稿集の25ページには、裏面の紹介は無い。

上田城2015駒.gif

17世紀の後半から18世紀の第一四半期の、
もののようである。
 裏面の紹介が無いが、発掘者が注意しなかっ
た様子からは、普通の”と”だったと推定され
る。形から見ても、私には近世の駒に見える。
 これで、先の竜馬成り角行と、成り不明歩兵
の2枚だけが私の知っている”長野県内出土駒”
という事になった。(2020/04/18)

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兵庫県宮内掘脇遺跡1999裏削ぎ取墨有金将出土(長さん)

近畿の出土中将棋駒では、大阪府の高槻城
三の丸出土の小型中将棋駒が有名である。
が、その他こんかい話題にする、兵庫県
豊岡市出石町宮内の宮内掘脇遺跡で西暦
1997年頃出土の、成竪行銀将駒がある。
今回は、この出土駒の出土の2~3年程度
後に、同じ地区から、表題のように、

ふつうの日本将棋の金将か、ひょっとして
中将棋の成飛車金将駒が出土している

という話をする。
webに報告書がPDFファイルで出てい
る。だがurlが、よく判らない。
pdfファイル名は、webからダウンロー
ドした際、次の名称が付いている。
48403_1_宮内堀脇遺跡Ⅱ.pdf
報告書の真ん中あたりに、スケッチも載っ
ているが、

厚みに関する情報と裏が欠けていて、写真
を見た方が良い。

写真は、185ページ付近”写真図版39”
に有る。以下のような様子である。

兵庫宮内掘脇1999.gif

裏面を見ると、削られた後に廃棄されたも
ののようであり、元々は

中将棋駒だったが、日本将棋用に転用した
後廃棄された

ようにも見える。飛車の”飛”の上段の
”毛”部分が、見ようによりだが、少し墨
が残っている、ようにも見える。
 ただし、同じ遺跡から出土した、
成竪行銀将の”将”と、今回の
裏削ぎ取墨有(?)金将の将の書体は違い、
後者は”將”である。また輪郭も、今回の
方が末広がりが、少し少ない。よって別々
の駒セットである事は明らかだ。

一応戦国時代の日本将棋の金将が中将棋の
出土で知られる兵庫県宮内掘脇遺跡で出土
した

と、本ブログでは目下無難に解釈しておく。
つまりこのケースは、宮内掘脇遺跡で日本
将棋も、中将棋の金将を改造して指した可
能性があるという意味である。(2020/04/17)

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大局将棋で参照した未知の将棋種は無い可能性(長さん)

本ブログでは以前示したように、大局将棋が
参照したそれ以前の将棋は、既知のものばかり
であり、獣曹、獣吏、獣鳥、禽曹、禽吏、禽鳥
を中心とした将棋が有るとしたらある程度であ
ろうと述べた。
 今回は、それ以外に無いとする根拠を、山駒
と風駒等の出所をチェックする事で示す。
最初に答えから書く。

江戸時代の日本将棋の棋譜を表現するときの”
いろは記号”の中に山と風と鳥と雨と森があり、

それと既存の駒種名の漢字を組合せて作った駒
名であり、未知の将棋種の駒名である可能性は、

少ない

とみられる。では、論を開始する。
 大局将棋に有って、他の将棋に無い漢字とし
ては、獣、山、風、鳥、雨が代表的である。
その他、鵬、林、森もあるが、鵬は鳳の類似語
であり、林や森は、大大将棋の木将から、連想
容易とみられる。元に戻って獣、山、風、鳥、
雨のうちの獣は、駒数多数将棋に一般に獣駒が
多いので、その事からの連想ともとれる。それ
ならば、連想容易と考えられる。または禽将棋
の禽から、獣については同系統語を連想した疑
いもある。
 一応、本ブログでは、今の所は
獣曹、獣吏、獣鳥、禽曹、禽吏、禽鳥を中心と
した将棋種が有ったのかもしれないと、疑って
いる状況である。
 それに対して、山や風や鳥や雨駒等は既存の
駒種には余り無い。しかし江戸時代の日本将棋
では、これらの漢字は、棋譜の表現漢字として
存在する。山は8九の位置、風は7四である。
また、鳥は7三の位置、雨が8七の位置である。
なお、林は無いが森は9六の位置に有る。
一応、いろは棋譜記号を示すと、以下のように
なっている。
1筋:いろはにほへとちり
2筋:ぬるをわかよたれそ
3筋:つねならむうのくや
4筋:まけふこえてあさき
5筋:ゆめみしひもせす京
6筋:一三五六七八十百千
7筋:萬花鳥風月春夏秋冬
8筋:柳櫻松楓雨霧霜雪山
9筋:谷川海里村森竹草石
 以上の事から、少なくともオモテ面について
は、大局将棋駒の駒種の漢字は、既存の将棋種
で使われている漢字に、日本将棋の江戸時代の
棋譜記号である、いろは記号を加えると、だい
たい完成する事が判る。
 だから、以上のように考えると、大局将棋の
中に、未知の将棋種が存在する可能性は、絶対
無いとの証明は今の所困難だが、無くても余り
おかしくないように、私には思えるのである。
(2020/04/16)

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(コラム)半径3乗T2乗則は逆2乗K氏第一第二3法則よりどう導く(長)

東工大教授の中島秀人氏によると、万有引力の発見
にまつわる物理学史は、さいきんだいぶん進んで
いるようである。私などは、広瀬秀雄の、
”天文学史の試み”(誠文堂新光社・1981年、
定価2千3百円)で”ニュートンとライプニッツは、
逆2乗則から、ケプラーの第一、第二、第三法則を
全部解いたので、ニュートン力学の創始者になった。
が、グリニジ天文台台長のエドモンド=ハレーと、
フックの法則で有名なイギリスのロバートフックは、

逆2乗則、ケプラーの第一法則(惑星軌道は楕円で
焦点に太陽)と、ケプラーの第二法則(面積速度
一定)から、第3法則(軌道長半径の3乗は公転
周期の2乗)しか導けなかったので、創始者になれ
なかった”

でおしまいだったが、今はそう単純な経緯では、
なかったとされるらしい。
 では、エドモンド=ハレーとフックは、表題のよ
うにどうやって、

太陽からの引力の距離逆2乗依存則と、ヨハネス=
ケプラーの惑星の軌道に関する第一法則と第二法
則の3法則から、残りのケプラーの第3法則を導い
たのか

をここでは、高校数学で極限を教わったころの、学
生のレベルで考えてみる。つまり、”ε-δの思想”
は、彼には余り、判っていないとしよう。
解くべき課題は2つある。

1.円軌道のときには、半径の3乗と公転周期の2
乗は比例する。
2.軌道長半径が同じなら、離心率が0から1の範
囲で違っても、公転周期は等しい。

では、解いて見る。
 1については、1天文単位の地球の軌道と、
100天文単位のカイパーベルト天体の軌道の公転
周期を比較するのが、実は

最も判りやすい。

観測事実によれば、このカイパーベルト天体の公転
速度は、だいたい3km/秒で冥王星に近い値であ
り、地球の約30km/秒の1/10である。
 仮に、逆2乗則が成立するとすれば、1万分の1
の加速度が、カイパーベルト天体には、地球に比較
して働いているはずであり、

1000回加速度が働くと、100万倍天体の位置
を変え、地球に関して1回の場合と、太陽から見て
同じ角度だけ、カイパーベルト天体を移動させる。

なぜなら、2回目の加速のときには、元々1つ動い
た位置から始まるから、2つ動くのであり、3回目
の加速のときには、3つ動いた位置から1つ動かす
のであり、4回目の加速のときには、6つ動いた位
置から1つ動かすので、n回後には、級数の和の
計算で、

n(n+1)/2=1+2+3+4+・・+n

になっているためである。ところで、

n(n+1)/2=n^2/2+n/2

だが、nが大きくなると、n/2はn^2/2
に対して無視できるようになる。この状態で、
nがNである場合と、1000Nである場合を比較
すると、1000倍加速の今のカイパーベルト天体
の例では、

位置変化が1:100万になる

のである。ところで、地球軌道と軌道半径100倍
のカイパーベルト天体とは、軌道が100倍の大き
さ比で、当然相似である。そして、カイパーベルト
天体の1000加速は地球の1回加速と同じ形であ
り、カイパーベルト天体の1回加速は地球に対する
太陽引力の1回の1万分の一であったから、カイパー
一回加速の100万倍なら、地球1回の100倍で、

1:100の相似になっている。

だから、360°公転するには、100天文単位軌
道のカイパーベルト天体は、地球の1000倍の
1000年掛かる事になり、ケプラーの第3法則は、
ツジツマが合っているのである。いまは、軌道の半
径が100倍の場合の、円軌道を例にとったが、
その他の倍率でも、状況はいっしょなので、ケプラー
の第3法則は、円軌道なら、ニュートンの逆2乗則
から出る。
 2.の”軌道長半径が同じなら、離心率が0から
1の範囲で違っても、公転周期は等しい。”は、
積分を使わないのなら、次のようにして解く。
ケプラーの方程式は、ニュートン力学以前から知ら
れている。
 離心近点角E→平均近点角M(ケプラーの方程式)
であり、

M=E-e×sin(E)

であり、eは、

このケースに限り、楕円の離心率の事

であるので注意が必要だ。この式で今の問題を解く
ときに重要な事は、

Eが90°のときに、MとEとの変化比が1になる

という事である。鈴木敬信氏が自身の成書の、新
天文学通論等で、強調して主張している。
sin(X)の微分がcos(X)になり、
cos(π/2)が0なのを知っていれば、あたり
前だが。知らなくても、

sin関数は90°付近の変化が緩いので、
-e×sin(E)は有っても無くても同じだと
微積の無い時代にも、このくらいは判っただろう。

また、離心率eの楕円軌道の短半径をbとすると、
離心率eの楕円軌道の面積は、πabであるから、
離心率0の円がπa^2であるのと比較して面積は、

b/a倍となって、小さくなる。

そこで、楕円の場合の離心近点角が90°の点に
おける、面積速度について考えると、以下の図のよ
うになっている。

楕円面積速度.gif

注意すべき点は、

離心近点角の定義についてだ。

天体の位置から、

長半径の方向の大概はx軸に固定する線に対して、
y軸に平行になるように、垂線を立てて、補助円と
交わる点と、楕円の中心(真ん中)と結んで、x軸
との角度を測る

のである。90°の場合には、よって、微小変移
(たとえば89°から90°まで)に関して、2本の、

黄色で表したの線長(絶対値)は互いに等しくなる

のである。そして、離心近点角が90°のときだけ
に限り、

離心率eが何であれ、黄色い線の長さは一定
だというのが、ケプラーの方程式の教えるところ

である。
 そして更に図のように、今度は太陽位置、つまり
焦点の一方から見て、面積速度を計算するのに必要
な、真近点角νの変移を考えてみると、
三角形OBFと、緑と黄の線を含む小さな三角形は
相似になっている。なお、

中心角が90°点と、焦点を結んだ線の長さは、
楕円では、長半径の長さaと等しくなる。さらに
よって、黄色線長さ:緑線長さ=a:bであるから、

離心率がeの楕円の中心引力による面積速度は
b/a倍であって、半径がaの円軌道より小さくなっ
ている

のである。ところで、楕円の総面積は円の総面積の
b/a倍であったから、

それぞれが面積速度一定の、ケプラーの第2法則で
運動するとすれば、周期Tは、軌道長半径aが決ま
れば、離心率eによらずに、同じになる。

以上で2も証明できた。
 エドモンド=ハレーは、ほとんどこうだろうが、
恐らく、

ロバート=フックも、逆二乗、ケプラー第一、ケプ
ラー第2の3法則から、ケプラー第3の、軌道長半
径3乗と公転周期2乗の比例は、こうやって求めた

のであろう。以上のやり方は天体の空間位置計算に
興味のある天文学者向きだが。物理に強くなろうと
いう方へは、力積、運動量、仕事、運動エネルギー、
位置エネルギー、エネルギーの保存則といった重要
な概念が、概ねスルーされるので、あまりお勧めは
できない。(2020/04/15の2)

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丹波篠山城隣青山歴史村土蔵二階の大大象戯展示(長さん)

兵庫県丹波篠山市の丹波篠山城のそばにある
”青山歴史村”の土蔵二階に、将棋纂図部類抄
を真似た形式の、文書の展示があるそうだ。特
に”大大象戯”の初期配列部分が、web上で
以前から紹介されており、

文書はオリジナルでありルールが他文書と違う

事が判る。以下詳細に述べる。web上のペー
ジは、将棋の研究家の方だとみられる個人のブ
ログであり、ブログ表題とurlは以下の通り
である。

おおた 葉一郎のしょーと・しょーと・えっせい
2016-04-30|しょうぎ
https://blog.goo.ne.jp/ota416/e/b25f3758f07bfeefa461f4dfbdee4759

ブログに記載された内容によると、
丹波篠山城(兵庫県丹波篠山市北新町)は青山
氏の江戸時代の城であり、青山氏が城主になっ
たのは江戸中期との事である。
 よって以下の写真の史料の成立は、
将棋六種之図式の頃のものだろう。

兵庫丹波篠山大大象戯.gif

いちべつして、この大大象戯の中央筋の金翅が
横走り、大龍が竪走りのように私には見え、

見かけないルールである。

また、写真では左辺が切れて見えないが、この
大大象戯の成駒図は、水無瀬兼成の将棋纂図部
類抄や将棋六種之図式と、類似の図であるが、

将棋纂図部類抄とは異なり鏡像になっていない。

従って、複写元の元情報は、他にあると見られ
るが、従来、余り知られていないものであるの
は間違いないとみられる。つまり、

埋もれていたが、とても貴重な文書

だという事である。(2020/04/15)

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11世紀トルファンのシャトランジ恐らく写実駒(長さん)

出土情報に基本的誤差が無いとすればであるが、
今回は、本ブログが、トルファン産と判定した
将棋盤が、唐代と元代の中を取って、宋代成立
としたら、シャトランジはイスラム型駒か、
写実駒なのかを考察する。表題の通りたぶん、
写実駒なのではないかと思われる。では、議論
を開始する。
 まず、唐代は唐王朝支配なため、暦は中国暦
で、囲碁が打たれるので、現ウィグル自治区の
トルファンで、イスラムシャトランジが指され
るのはおかしいとして。北宋代には、どうだっ
たのかと考えて見る。なお続く金王朝の時代は、
ウィグル自治区まで、中国王朝の勢力は無かっ
たので、イスラムシャトランジは生き残ると考
えられる。
 webの情報から、現在のウィグル自治区の
11世紀の政治状況を、北宋王朝は、

はっきりとは、掴んでいなかった

とされる。天山ウィグル国とか、西ウィグル国
とか、カラホージャ朝と言われる、ウィグル人
の国が有ったと、歴史地図には書いてあるよう
だが、宋王朝には関心が薄かったらしい。ちな
みにこの領域は、シルクロードに浸っているか
ら、北宋の中国交易商人の方が、当時は政府よ
りも様子を良く知っていたはずである。
何れにしてもだから、

一応、中国文化圏から、一時期抜けていた

考えられそうである。だから一部の住民には、

イスラムシャトランジが指されたかもしれない

と言えるだろう。ただし、イスラム教圏は西隣
のカラハン朝まで、だったようである。ちなみ
に、大理国へ宝玉・ネフライトをもたらした、
ホータン市は、当時はカラハン朝や、少し後の
東カラハン朝の支配領域だったと言う事である。

玉将の原料のネフライト原石は、日本への将棋
の伝来当時の11世紀、イスラム圏から雲南省
へ”輸入”されていた

らしい。ただし、カラハン朝はイスラム教国だ
から、王侯貴族が象棋を指す時には、イスラム
式の抽象駒であり、形は地味だし、戒律から、
賭博用の宝玉は、多分使用しなかったのだろう。
 しかし、その東隣のトルファンが含まれる
天山ウィグル国の領域では、カラハン朝の支配
地の東の外であったので、イスラム圏ではなく、
そこの

天山ウィグル国等の王侯貴族は、ネフライト玉
彫り駒のシャトランジを指した

のかもしれない。その情報と、当のネフライト
が、雲南省の大理国にもたらされて、大理国の
貴族によって、玉将駒として加えられて、
大理国原始平安小将棋(8升目、32枚型)が
ひょっとしたら、成立したのではあるまいか。
 だから、当然非イスラム圏とみられる、正体
謎の”天山ウィグル国”では、ウルムチ美術館
の将棋盤と写実的な将棋駒を使って、北宋王朝
時代に、シャトランジを指していたという可能
性を、完全否定まではできないだろうと、私は
考えるのである。(2020/04/14)

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日本天文史料異常現象集計斉藤国治調査と矛盾(長さん)

以前、”平安時代陰陽道史研究”山下克明
”観測技能、精度の問題(末備表)”の、
東京天文台斉藤国治氏調査の、月・惑星又は、
惑星・惑星接近の集計結果を本ブログでは
紹介し、11世紀の記録数が少ないという、
事実を示して、それについて、中国星座を用
いた位置情報について隠匿が有るのではない
か等と論じた。今回は、これとは別の情報で
ある、神田茂氏の作成した、
”『日本天文史料(1935)』に記載の
異常現象集計”数が、

きっちりとは、合っていない

点について述べる。出典はややこしくて申し
訳ないが、神田氏直接ではなくて成書の
”日本人の天文観(星と暦と人間)”、
NHKブックス(1972)、広瀬秀雄氏
著書である。
今述べた成書の、Ⅱ暦日への関心のたかまり
天文異常の記録の49ページに、載っている
データを以下に示す。
_世紀_____記録数
_8世紀まで__154
_9世紀____262
10世紀____179
11世紀____139
12世紀____370
13世紀____398
14世紀____337
15世紀____385
16世紀____256

なお、前に示したが斉藤国治氏の、会合現象
の記録件数変化は、再掲すると次の通り。
_9世紀____20~30
10世紀_____数件
11世紀______1
12世紀(~39)_0
12世紀(40~)数十件

傾向は同じであるが、斉藤氏の会合の調査の
方が、より著しい事が判る。
今回新たに示した成書、”日本人の天文観”
に、”上奏記録の数である”との旨が書かれ
ているので、今の所一応、

宮内庁に残った、”門外不出データ”等が、
神田茂氏の集計では、含まれる為

と本ブログでは考える事にしたい。
 むろん、神田氏の集計は、会合だけでなく、
流星や彗星等の記録も、全部入った数である
事も、理由に含まれているとは考えられる。
しかし、11世紀に約178件は有るという、
斉藤国治氏のリストとは別に、情報が存在す
る事も確かであり、

以前の論に”疑念がゼロでは無くなった”

とは言えると思う。
 元東京天文台の台長の広瀬秀雄氏は、デー
タ収集を手伝ったので、密奏文書の集計結果
を、神田氏から直接入手し、自身の著書で、
『日本天文史料(1935)』を引用したら
しい。
 ”12世紀から増えているのは、遍暦のマ
ンネリ化のため”等と広瀬氏は表現しており、
”世襲化完了による、安定した広報条件の、
整備完了の為”とする、本ブログの論と、極
端に、広瀬秀雄氏の主張が、異なる訳ではな
い。ただし広瀬秀雄氏が天文古記録について、

11世紀は落ち込んだと、特に指摘していな
い事が大切

だと私は思う。そのような心象が、調査中に
は特に、感じられなかったのであろう。なお、
広瀬秀雄氏は彗星に、特に興味を持っていた。
何れにしても広瀬秀雄という人物は、並の成
書には、なかなか書いていない有力な情報を、
しばしば所持していたような、博学の方であっ
たようだ。
 天体力学が専門だが、その他、天文学史で
も有名であり、遊戯史とは直接繋がらないが。
一般的に歴史研究の際には、広瀬秀雄氏の成
書等での情報には、今後とも特に注意したい
と、私は考えている。(2020/04/13)

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ウルムチ博物館の唐代将棋盤はトルファン出土らしい(長さん)

以下、大内延介氏の西暦1986年の成書、将棋
の来た道(メコン社)85ページ上に、説明無し
に出ている写真の中の、西洋チェス型の”象棋盤”
と、大内氏が説明した史料についてである。
 ウルムチ博物館の展示場で紹介されている、
遺物の説明名札について、何と書いてあるのか、
以下、それだけについてが議論内容である。

成書の写真は、充分には鮮明で無いが
”トルファンの某所(読めない)出土”とある

ようだ。
 以下もう少し詳しく論じる。よく知られている
ように、ウィグル自治区内のトルファンからは、
囲碁の美人画が発見されている。美人画は、

トルファンのアスターナ(阿斯塔那)古墳である
から、トルファン市街から近い事に関して同じだ。

つまり、時代が同じかについては、大内氏が聞い
た、ウルムチ博物館の解釈に関して、なおも疑う
べきだろうが。

同じ街で、囲碁とイスラムシャトランジが、どち
らもプレーされた可能性が高い

ようだ。これは、

本ブログにとっては、相当都合が悪い事実

とみられる。
問題の博物館で作成した名札だが。
1段目に将棋盤
2段目に唐代

3段目に吐魯番(トルファン)

4段目に読めないが、たぶん遺跡名が4文字
とそれぞれ、かなり判読に苦労したが、私にも
大内氏の成書上で、やっと読み取れた。
 恐らくだが、この”将棋盤”はトルファン出土
品で、博物館では、

囲碁を打つ、美人画と同じ唐代

と見ているのであろう。
 仮にイスラムシャトランジ盤の方が元王朝時代
だったとしたら、以前に述べたように、モンゴル
帝国のチャガタイ・ハン国では、囲碁は廃れて、
イスラムシャトランジを、指していても良いはず
である。当時トルファンは、元王朝とチャガタイ・
ハン国の間の、”国境近くのの町”だったとみら
れる。
 しかしながら、博物館の言うとおりとすると。
唐美人は囲碁を打った結果イスラムシャトランジ
にはゲームに難が有るのに気がついて、問題の
イスラムシャトランジは、指さなくなるはずだと
の、本ブログの論は、

根底から崩れる反例となる

可能性が高くなる。これは、かなり困った結論に
なったと現時点で、認識する。(2020/04/12)

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