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豊明市沓掛城址木札が興福寺天喜六年木簡の用途を示唆(長さん)

今回は、興福寺1058年物出土駒の、年代決定
に寄与した、共出土の年号記載木簡の用途を論題
とする。結論を述べると、

この木簡は物品整理保管係りが、他貯蔵物品を整
理保管するための、整理用名札として作成したも
のである。将棋駒の工房は、実は興福寺の物流品
管理整理室に、こっそりと作られたものである

事を示唆している。では論を開始する。
 愛知県豊明市に沓掛城址という戦国時代の遺跡
があり、そこから、

問香札と一緒に、物品整理のためとみられる、
戦国時代の年号、天文十七年を記載した木札とみ
られるものが出土

している。情報はweb上に有り、以下のurl
である。
https://www.city.toyoake.lg.jp
愛知県豊明市のホームページの中に、史蹟の紹介
があり、問題の遺物の写真がある。

愛知豊明市沓掛城址出土.gif

木札は18枚出土したが、15枚は無地で、1枚
は、私には判読できないが、残り2枚のうち、
1枚は問香札を連想させる”三”に見える文字が
あり、残りの一枚に、天文十七と2列で、少し
小さめの字で記載があるとの事だ。

大切な点は上部に穴が開いていて問香”三”札も、
天文年号札も整理札としても使われた事が明らか

な事である。
 この事から、これらの札が出土した、豊明市の
沓掛城址の特定の場所は、倉庫に付属して作られ
た、城の物流品の整理用の建屋だったように思え
る。そして普段そこに常駐する家来は資材管理担
当として物流の発注、受注、整理をしており、そ
の為整理札が有ったのだろう。が、

物流担当の人間がこっそり問香遊びをもしていた

と想定される。だから、時代は全く違うが、奈良

興福寺の11世紀の将棋駒が出土した工房とされ
た場所も、普段は寺へ搬入される資材の、整理や
管理を恐らく請負う場所であったのではないか。
そして、そのために木簡が必要な為、装備はされ
ていたものだろうが。他方

寺の担当坊主が、隠れてこっそり、木簡で将棋駒
を作って遊んでいたと想像する事も容易

である。
 以上の事から、時代も違うし、遊びも問香と将
棋で別々、場所も城と興福寺境内で別々だが、
元々年代決定の決め手になった、年号の入った
木札または木簡は、

物流倉庫の備品で、一般的に元々何か、その施設
で必要になる物流資材を管理する為の、種別の年
号札のようなもの

であったという点で、互いに共通である事を示唆
しているように、私には思えるのである。
(2020/05/11)

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