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なぜインド系2人制古将棋類の兵は奥段相手駒成か(長さん)

少なくともイスラムシャトランジ化した
時点で、インドの2人制古チャトランガは、
最奥段兵成が、大臣動きに簡略化していた
とみられる。ただし、イスラム圏でも隣接
のペルシャでは、チムールチェスのように、
インド系兵成りを模倣する傾向も有った。
しかし、インドとイスラムを区別する特徴
という議論は、本ブログでは複数回したが、
インドの2人制古チャトランガや、インド
古形将棋に見られる、この兵成りパターン
の形成原因そのものを、今まで議論した事
は無かった。そこで今回はそもそもインド
系の古将棋類で兵駒が最奥段で、相手の初
期配列のその位置駒に、なぜ成るルールな
のかという、根本についてを論題とする。
回答から書く。

インドの古代将棋盤は10段であり、両側
の段は、列名表示に使われ、相手の最下段
初期配列駒と同じ種類の、自分の最下段駒
(ただし王列には大臣)を相手最奥段の更
に向こうの盤縁に置いて、飾り列表示とし
て高級ゲーム具で使われた。

では議論を開始する。ものと人間の文化史
110『チェス』増川宏一(西暦2003)
によると、ペルシャに伝来したインド将棋
具を11世紀に記載したフィールドウズイ
のマーティカーネ・シャトランジによると、
国王へインドから贈呈されたインド古将棋
具は、エメラルドとルビーの駒だったとい
う事である。であるから少なくとも私には、
初期配列時、32個の駒を通常のチャトラ
ンガで並べるよりも、自分が仮にルピー駒
軍を持つとしたら、駒は48個用意し、
8段目の更に奥に、自陣の1段目のルビー
駒を並べる。逆に相手は自陣の1段目の下
に、相手陣と同じで、最下段駒でエメラル
ド駒を並べ、ただし例外として王の所の下
には大臣駒を置く。こうしてエメラルド駒
を、もう1段初期配列すれば、最下方と上
方の

ルビーとエメラルドの帯配列は、ルビーか
エメラルド一列だけより見栄えが輝かしい

と私は思う。

つまりその段が何の列なのか、棋譜を記録
するのに盤に数字を書く代わりに、宝石の
列を、一列作る位の贅沢は、王侯貴族なら、
いかにもしそうだ

という意味である。なお、次が大事だが、
盤外に置いた駒は、ほとんど使わないが、

小ぶりに作られていたとみられる兵が、最
奥に達したら、兵と取り替えて成りを表現
したのではないか

とも推定する。なお、取替えルールにする
と、目印がその列の初期配列駒から兵駒へ
変わってしまうが、自身から見て最奥段の
すぐ外に置かれた兵は、兵ルビーがある事
で、1列有る事を少なくとも表示する働き
をするのであろう。
 当然だが、取り替える大駒が常に、相手
初期配列駒のさらに段外に置かれた、自陣
の同種駒の宝石なので、兵は相手陣最奥で、
その升目に初期配列される、相手大駒に成
るルールにするのが、便利である事になる。
ポーンが本ブログのように元々、斜め駒取
りルールであったとしても、最奥でこうす
れば、成りを間違う事は無い。そして相手
大駒を取ったら、欄外相手ポーンと取り替
えるのを対局マナーとしたり、左右袖で融
通すれば、兵が最奥段に達して、成らなけ
れば、行き止まりになるときに、成り駒が、
物理的に段端外の縁に無い事は、めったに
起こらないだろう。ので、これでよかった
はずである。そして、

そもそも成駒立体駒または宝石を、予め用
意しない現代チェスは、インド古代チャト
ランガの棋士に言わせると、貧乏人のゲー
ム具というイメージだった

のではあるまいか。このような方法で、成
り駒は別に作って、成るとき取り替えるの
が、古代の王侯貴族の遊戯具では、当たり
前になっていったのであろう。
 インドでは、ゲームの途中棋譜を作った
し、盤の回りに列名をペンを使って数字や
文字で書くのも、”王侯貴族のゲーム具”
としてはみっともなかったので、

その為だけに、16個宝石を余分に用意す
る位は、多分当たり前

だったのではないと私は疑う。以上の経緯
で、インドの古代将棋の、ゲーム具から来
る事情でルールが決まり、インド系の将棋
の兵駒は、相手陣最奥段で、その位置に初
期配列される、相手大駒に成るというルー
ルが、定着したのではあるまいかと、私は
推定するのである。(2020/05/17)

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