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成書に奈良県飛鳥小学校跡旧大乗院庭園出土行軍将棋(長さん)

2020年に岩波書店より出版された、
”木簡 古代からの便り”に、本ブログで
本稿より1年以上前に紹介した、表題の、
明治時代の現在の旧大乗院庭園、当時の
飛鳥小学校跡とみられる遺跡から出土した、
行軍将棋約20個のうち、6枚程度が、
写真で紹介されている。上記成書で記事は、
奈良文化財研究所の研究員が担当して執筆
し、その箇所の担当者は山本祥隆氏となっ
ている。
 山本氏は、上記成書の中で、行軍将棋は、
詰め将棋から進化したとされるとの旨を書
かれているが、真偽は確認できない。
詰め将棋は、日本将棋の駒の一部を使う事
に特徴があり、ルールは同じで、攻め側は
常に王手を掛けなければならないという内
容である。ところが行軍将棋に、日本将棋
との間の駒名の繋がりがそもそも無い。の
で、

山本祥隆研究員前記記載の情報は、元情報
提供者の将棋知識に、信頼性の問題がある

のではないかと、私は疑っている。
 なお、今に残る行軍将棋以外のパターン
で行われる、原始行軍将棋のようなゲーム
に関する情報は、探しても特には見当たら
ない。類似のゲームをグローバルに見ると、
駒名を隠匿しない形の物が有るという程度
が、判っているだけである。そこでここで
は、行軍将棋の歴史を議論するのでは無く、
明治時代の奈良県の飛鳥小学校で、出土し
た自作行軍将棋駒を使って、

どのようなゲームを小学生がしていたのか
を論題

とする。回答から書く。

行軍将棋の駒は使ったが、行軍将棋では無
くて、回り将棋をしていた疑いがある

と私は考える。では、論を進める。
 この遺物の特徴は、当時から

販売されている行軍将棋のセットをわざわ
ざ使わずに、日本将棋の駒を改造している

という点にあるとみられる。
 オモテ面の日本将棋のオモテ駒名は、出
土駒の一部に、かなりの部分が薄くなって
いるものが有るのだが、

飛鳥小学校の小学生等が、紙やすり等で、
消そうと一応したからそうなのではないか

と私は疑う。
 山本祥隆研究員は、前記成書で、行軍
将棋の駒名は、朱書きと述べておられる。
元々使える日本将棋の駒の両側を紙やすり
で消したが、小学生のやる事なので、駒に
よっては字が薄く残っただろう。そして裏
面は、成り駒名が朱書きの、既成将棋駒だっ
た。ので同じような色で、行軍将棋駒名を
書いて、元の字が目立たないようにしたの
で、朱書きなのだと考えても、大きな矛盾
は無いように、私には思える。
 では、なぜわざわざ明治時代に、既製品
の行軍将棋の駒を買わずに、それより特段
に安価な訳でもないとみられる、日本将棋
の駒を、わざわざ奈良県の児童等が改造し
たのかだが。最初は普通の回り将棋をして
おり、

振り駒としての金将が欲しかったので、
日本将棋の駒セットを恐らく何組か買った

のではないのだろうか。
 行軍将棋駒で行軍将棋をするには、駒の
大きさが駒種によって、全く差が無い必要
が有るのだが。

仮に、日本将棋駒で回り将棋をする代わり
に、行軍将棋駒で回り将棋をするとすれば、
階級が高い駒が大きい方が、体裁は良い。

では、行軍将棋でわざわざ回り将棋をした
動機は何かだが。

当時は、奈良県に於いて仏教思想が小学生
の間にさえも、今より広く行き渡っており、
銀将より角行(道に外れた行いの意味)の
方が、位が高いという発想に、民衆の間で
は、違和感が依然有った為

ではないかと私は疑う。つまり、今でこそ
日本将棋は小学生でも良く知るようになり、
駒の価値が、玉将>飛車>角行>銀将>
桂馬>香車>歩兵である事は常識となった。
その結果、回り将棋で駒の昇格を上記の逆
順序で行う事に違和感は無くなったのだが。
当時特に、大きな寺院が多数林立する奈良
県の、その近隣地帯の飛鳥小学校では、そ
れをあたり前だと思うまでには、ひょっと
すると至らなかったのではなかろうか。
 それに対して、日本の軍隊の士官の階級
名は、明治の中ごろには、よりポピュラー
だったのであろう。そのため、

少尉で始まって、大将で上がるような、
回り将棋を、当時の飛鳥小学校では小学生
等が、当然の如くに出来た

のでは無いのだろうか。その証拠に、
遺物の中から、工兵とかタンクとか飛行機、
ミサイル、地雷と言った、既製品の行軍将
棋に有る駒が、18枚程度駒名が判読され
ているにも関わらず、一枚も見つかってい
ないという事が、有るように思う。
 小学生は行軍将棋もある程度、知っては
いたのであろうが。休み時間にするには、
回り将棋程度の方が、駒の個別勝ち負けが
判定できる、行軍将棋に熱心な審判役の児
童が休んでも気楽に出来るので、回り将棋
の方が、より人気が有ったのであろう。そ
れにそもそも木の将棋盤の方が、有ったと
すれば、紙の行軍将棋の盤より使いやすい。
 かなりの児童は日本将棋の駒名を使う回
り将棋の駒の取替え順序は判っていたのだ
ろうが。軍の階級の方が、明治時代の当時
には既に、メジャー判り易かったので、そ
れでやってみたいと思うようになった。
しかし日本将棋の駒セットが有ったし、回
り将棋用の振り駒の金将は、日本将棋の駒
をそのまま使う方が、4枚有るので便利だっ
た。ので、ひょっとすると

行軍将棋駒を日本将棋駒を改造して作る事
を思いついた

のでは無かろうか。
 何れにしても、軍隊の階級制度に一般大
衆の関心が高いような時代には、回り将棋
も、行軍将棋駒を駒として使うと便利な状
況に、なるものだったのではないか。
 以上のような理由で私は、この行軍将棋
駒はひょっとすると、小学校では行軍将棋
ではなくて、回り将棋をする為のものだっ
たのではないか。以上のような疑いを、最
近は、持つようになったのである。
(2020/09/10)

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