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長野県長野市浅川端遺跡で弥生後期後半泰山墨書土器(長さん)

今回は長野県長野市の淺川端遺跡で、
弥生土器に漢字で「奉山」と書かれている
ように見える遺物出土の話題である。
 遺物の写真がweb上に公開され、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が
奈良文化財研究所発掘報告書データベース
全国遺跡報告総覧に登録公開されている。
 pdfファイル名は以下の通りである。
8511_1_二ツ宮遺跡3・浅川端遺跡3.pdf
 上記pdfには2冊の発掘報告書が1冊
にまとめられ、後半の浅川端遺跡編に、
以下話題とする遺物が載っている。後半の
部の発掘報告書名は以下の通りである。
長野市の埋蔵文化財第122集淺川端遺跡(3)、
2008年3月、長野市教育委員会。
 発掘報告書末尾抄録によると遺跡の場所
は、長野県長野市吉田2丁目278-1。
遺物が出土したのは西暦2007年前後
の事のようである。
 ここで話題とする遺物の成立年代は、
包含層で発掘されたが、大半の遺物は形か
ら弥生時代後期後半の2世紀前後の成立と
され、問題の遺物も発掘報告書第34ペー
ジ付近の記載により、弥生時代後期後半
の弥生土器の一つであると考えられている
ように読み取れる。
 遺物の写真は発掘報告書の第33ページ
に、淺川端遺跡でこの発掘の際に出土した
土器類として写真が載り、最下段の左端に
土器遺物番号第10番として記載され、
弥生時代の土器の甕の破片であると考えら
れているようである。

淺川端泰山.gif

 上図のように写真の遺物の右端に縦に、
漢字で奉山と書かれているように、私には
読める。弥生時代後期に、長野県北長野駅
付近から遠方に山の見えるこの遺跡付近に
大陸から渡来人が入り、鉱物資源の捜索を
行なう、ベースキャンプ等としていた疑い
があると私見する。前に飯田市の例でも書
いたが。その渡来人の死後、景色の山の主
として、子孫または近隣の識字出来る者に
より、鉱物資源開発者のその渡来人が、
奉じられたと、本ブログでは疑っていると
いう一例だと考える。(2023/05/04)

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