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山形県天童市永源寺跡遺跡で9C山泰墨書土器(長さん)

 今回は、山形県天童市の表題遺跡で西暦
2000年前後に、9世紀成立で杯型土器
の破片とみられる発掘土器出土品に山奉と
漢字で書かれているように見える、物品が
あるとの旨の紹介である。
 遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が
奈良文化財研究所発掘報告書データベース
全国遺跡報告総覧に登録公開されている。
 pdfファイル名は以下の通りである。
5897_1_永源寺跡遺跡発掘調査報告書.pdf
 発掘報告書の名称は以下の通りである。
山形県埋蔵文化財センター調査報告書第56集
永源寺跡遺跡発掘調査報告書、西暦2001年、
山形県埋蔵文化財センター。
 発掘報告書冒頭例言により遺跡の場所は、
山形県天童市大字清池字笠仏。遺物が出土
したのは、西暦2000年前後の事のよう
である。
 遺物の成立年代は、遺物は第865竪穴
式住居付のカマド跡から出土したが、発掘
報告書第6ページ付近によると、この遺跡
の主体となるのは、奈良・平安期の遺構で
あり、発掘報告書第121ページ付近に、
9世紀前後のカマドではないかと、記載
されているように読み取れる。
 遺物の写真は発掘報告書写真図版第25
の中央下から3段目に在り、スケッチ図第
34の遺物番号158番と旨ナンバリング
されている。たまたま台形に割れた、土器
の破片のように私には見える。杯の破片と
発掘報告書には記載されているように思う。

永源寺山泰.gif

 上図のように、遺物の中央に漢字で”奉”
のように見える模様が在り、その左上に、
”山”のように見える模様が薄く在って、
合わせて”山奉”と書かれているように見
える。古代の集落で天童市周辺の山を拝む、
祭祀が行われたのではないかと私見する。
(2023/05/18)

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