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長野県松本市岡田西裏遺跡で平安初泰山墨書土器(長さん)

 以前本ブログで、長野県松本市生妻
遺跡で大きな甕型土器に、奉山と書いて
あるが、たまたま写真で左端に寄りすぎ
ていて、よくわからないという例を紹介
した。
 今回は、同じ松本市の岡田西遺跡で、
西暦1985年頃、すなわち生妻遺跡の
例より少し前出土の土器に、同様な例の
ように見える「奉山」墨書土器があるよ
うだとの旨、以下に紹介する。
 遺物の写真がweb上に公開されて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所発掘報告書デタベース
全国遺跡報告総覧に登録公開されている。
 pdfファイル名は以下の通りである。
7907_1_松本市岡田西裏遺跡.pdf
 発掘報告書の名称は以下の通りである。
松本市文化財調査報告No.44
松本市岡田西裏遺跡、1986年3月、
長野県松本建設事務所・松本市教育委員会。
発掘報告書第4ページ付近の記載により
 遺跡の場所は松本市岡田出張所の西隣
敷地内のようであり、遺物が出土したの
は、発掘報告書第2ページ付近の
「作業日誌」により西暦1985年前後
の事のようである。
 遺物の成立年代は、発掘報告書第12
ページ付近の記載により、遺物は第1号
住居址で出土したが、共出土遺物のうち
割合の多い物品の形から9世紀後半の、
平安時代初成立と、見られているように
読み取れる。生妻遺跡のケースと、ほぼ
同じ頃のようである。
 遺物の写真は発掘報告書写真図版第3
の中段右にあり、遺物番号第9番との旨
ナンバリングされている。このケースも
甕型土器の、今回は底の方だけが、再現
された出土品のように私には見える。

岡田西裏泰山.gif

 上図のように中央やや左に寄って縦に、
残存した部分に対してはかなり大きめに
「奉山」と、輪郭が白抜けして書いてあ
るように、私には見える。
 同じ松本市の生妻遺跡で出土した甕型
土器の類ではないだろうか。今度こそ
長野県松本市から見える連峰の山は、
平安時代の前期の9世紀には奉じられて
いたと結論出来る、期待が持てるのでは
ないかと私見する。(2023/05/07)

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