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長野県飯山市トトノ池南遺跡で平安期王奔墨書陶器(長さん)

今回は、「平安時代の陶器」と発掘担当
者に見られている遺物の内面の底に、いっ
けん漢字で、王奉と読んでしまいそうな
模様が在るが、第1字目の王の字の縦棒
が右にカーブしていて「国」であり、
「国奉」と書かれている、比較的単語の
内容の珍しい墨書遺物の紹介である。
 遺物の写真がweb上に公開されて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が
奈良文化財研究所発掘報告書デタベース
全国遺跡報告総覧に登録公開されている。
 pdfファイル名は以下の通りである。
7433_2_新堤遺跡・トトノ池南遺跡.pdf
発掘報告書の名称は以下の通りである。
長野県飯山市埋蔵文化財調査報告第24集
新堤遺跡・トトノ池南遺跡、1991.3、
長野県飯山市教育委員会。
 ここで今回話題にする遺物は、後半の
トトノ池南遺跡で出土したようである。
 発掘報告書冒頭「調査と整理」が書か
れた第1本文pdfの第5ページ付近の
記載によると遺跡の場所は長野県飯山市
大字一山字雪坪3138-5。
遺物が出土したのは西暦1990年前後
の事のようである。
 遺物の成立年代は図版の下に平安時代
の陶器・灰袖陶器と記載され、平安時代
成立と認識されている事が判る。また、
発掘報告書第1本文pdfの第149ペー
ジ付近の記載によると、遺跡の井戸跡の
周辺部から本遺物の他にもかたまって共
出土物の出土があり、ほぼ平安時代のも
のと、考えられているように読み取れる。
 遺物の写真は発掘報告書写真図版
(PL)第44の最上段右端にある。
ナンバリングは特に付与されてい無いよ
うである。発掘報告書第1本文pdfの
第138ページ第53図の第49番陶器
の事であり、裏に「天□作徳□」と釈文
された、墨書があるとされているものと
同じ物品の、裏表写真なのかもしれない。
なお私見では、反対面の文字は
「天吉作徳穂」のようにも見える。

トトノ池南王奔.gif

 上図のように、中央下端にかなり明確
に漢字で「奉」と読めるような模様が有
ると私見され、縦に第1字目に「王」と
読んでしまう模様がある。しかしながら、
王と見た場合に縦棒が真っ直ぐでは無く
て、下へ行くと右にカーブしている事と、
国ガマエが見える事から、旧字の国であ
ると読めるように、私は思う。
 朝廷へ収穫した米を献上するというよ
うなイメージが表と裏と見られる墨書を
組み合わせると有ると思う。墨書として
は同義であるとみられるが、平安時代に
はまだ「王奉」と表現される事がが多い
中、「国奉」と、慶んで年貢を納めると
露骨に書かれている、珍しい例のように
私には見える。
 しかも当時は土師器と比べて高級だっ
たと私には認識される、陶器の破片であ
ることにも、注目すべきかもしれない。
山間部の遺跡のようだが、何らかの理由
で京都から派遣されたコメ作りの技術者
等が農産物のテスト生産を、平安時代に
していたような、文面内容だと私は思う。
(2023/05/10)

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