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長野県伊那市辻西幅遺跡で平安後期泰山墨書陶器(長さん)

 今回は平安時代後期に成立したとされ
る灰袖陶器に「山奉」と書いてあるよう
に見えるが、字がかなり小さいという例
の紹介である。かなり

状況からは尤もらしいが、偶然模様の例

という意味である。
 遺物の写真がweb上に公開されて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所発掘報告書デタベース
全国遺跡報告総覧に登録公開されている。
 pdfファイル名は以下の通りである。
8335_1_辻西幅遺跡.pdf
 発掘報告書の名称は以下の通りである。
辻西幅遺跡、1995.3、長野県
伊那市教育委員会。
 発掘報告書末尾の例言により遺跡の場
所は、長野県伊那市手良沢岡。遺物が出
土したのは、西暦1994年前後の事の
ようである。
 遺物の成立年代は遺物は第2号住居址
にて出土したが、発掘報告書第20ペー
ジ付近の記載によると、遺物の形態から
平安時代後期の遺構であり、話題とする
遺物も、その頃の物品と考えられている
ように読み取れる。
 遺物の写真は発掘報告書の写真図版第
10の最下段左に在り、遺物番号として
”灰釉陶器(第2号住居址No.93)”
と付記されている。

辻西幅山泰.gif

 上図のように、写真の左に寄って縦に
漢字で奉山と書いてあるようにも見える
が、たぶん器に対して、かなり小さいと
みられる。伊那市からは山が見え、その
点では不自然さは無い。他に墨書遺物で、
漢字で「王」と記載された器が、近隣の
住居跡から、複数出土しているようであ
り墨書はいかにも尤もらしい。が、字の
大きさが小さく、この遺物については、
本物の墨書であるかどうか、不自然であ
る。更に第1字目の「山」が、実際に「
山山」と2つの字が、字そのもの幅の
四分の一で重ねて書かれたような、妙な
字形である。日本に将棋が成立していた
疑いの濃い時代ではあるが、少なくとも
第2字目は泰山の泰ではなく「奉」であ
って将棋に関連の有る可能性は少なく、
当時のこの遺跡付近の住民が、山々を王
に準えて奉じていたと、解釈される例で
はあると疑う。(2023/05/05)

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