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山形県酒田市後田遺跡で10C半ば泰山墨書土器(長さん)

今回は、出羽国府跡に近い表題の遺跡で、
幾つかの墨書遺物と共に、漢字で奉山と書い
てあるように見える土器が出土し、出羽地方
の山を平安時代中期に国府等で、拝んでいた
疑いがあるという、遺物例の紹介である。
 遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録公開されている。
 pdfファイル名は以下の通りである。
6225_1_農林事業関係遺跡2発掘調査報告書.pdf
 発掘報告書の名称は以下の通りである。
山形県埋蔵文化財調査報告書第64集
農林事業関係遺跡(2)発掘調査報告書、
1983年、山形県教育委員会。
 なお、発掘報告書には後田遺跡と俵田遺跡
(第1次)が載っており、遺物はこのうち、
最初の方の出羽国府に近い後田遺跡で出土
したとの事である。
 発掘報告書冒頭の、(後田遺跡の)立地と
環境により遺跡の場所は山形県酒田市(当時:
飽海郡八幡町)大字政所字後田および遠沖。
遺物が出土したのは、西暦1979年前後の
事のようである。
 遺物の成立年代は発掘報告書第12ページ
付近の記載によると、遺物は土壙第148号
で出土したが、遺構自体が共出土遺物の形態
から10世紀半ばの平安時代中頃のものと、
みられているように読み取れる。出羽国府の
機能した時代のものと、考えられているよう
である。
 遺物の写真は、発掘報告書の後田遺跡の第
12番:”土溝出土土器”の第2段目右に在
り、遺物番号第58番との旨、ナンバリング
されている、杯のような形の土器の、割れて
劣化した物品である。

農林事業泰山.gif

 繋いで杯に戻した写真の側面だとみられる
が、上図のように右端に漢字で「奉」その、
左やや下に、煤がかぶって不明快だがたぶん
「山」と書かれているように、私には見える。
恐らく「王」では無く、出羽の山々を国府の
関係者が奉じる、祭祀用なのではないかと個
人的に疑う。「山」と「王」が重なったよう
にも見える点が、ダブらせているのか。当時
は天皇は、大型の山体に準えられていたと取
れるという点である意味興味深い。(2023/05/15)

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