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富山県小矢部市下川原遺跡で8C奔王墨書土器(長さん)

 今回は、発掘報告書で8世紀第2四半
期の年号、漢字で「天平」と書かれてい
る土器が出土していると紹介されている
遺物について、漢字で「奉王山」の意
(奉が「夫」の横線3本書体で、下部の
「キ」が無い)の、ようにも見えるとの
旨の紹介である。
 遺物の写真がweb上に公開され、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所発掘報告書デタベース、
全国遺跡報告総覧に登録公開されている。
 pdfファイル名は以下の通りである。
5555_1_開馞大滝遺跡・五社遺跡・五社条里遺跡・
水牧遺跡・下川原遺跡発.pdf
 発掘報告書の名称は以下の通りである。
富山県文化振興財団埋蔵文化財発掘調査報告
第49集開馞大滝遺跡・五社遺跡・五社条里遺跡・
水牧遺跡・下川原遺跡発掘調査報告。
 遺物はこのうち、最後の下川原遺跡で
出土したようである。新幹線建設に伴う
発掘調査であり、遺跡同士の関連性は、
薄いとみられる。
 発掘報告書末尾抄録により遺跡の場所
は富山県小矢部市野端。遺物が出土した
のは西暦2006年~2007年、その
前後のようである。
 遺物の成立年代は、発掘報告書第
132ページ付近によると、漢字で墨書
が「天平」と読め、8世紀の第2四半期
と考えられているように、解釈できる。
奈良時代程度の物なのであろう。
 遺物の写真は発掘報告書写真図版第
70:”下川原遺跡土器(古代)土溝第
9号・10号・包含層”の最下段右に在、
遺物番号第196番との旨紹介されてい
る皿型の土器の底裏のように、私には見
える写真で、発掘報告書で繰り返し、8
世紀第3四半記成立の”天平”年号土器
とされている遺物である。発掘報告書で
は「湾岸の集落遺跡であり、遣渤海使の
帰国に関連している」ともされているよ
うにこの遺跡についても取れてしまうよ
うに私には読めるが、この遺跡自体盆地
で遠方に山が見え、近隣に河川部:小矢
部川のある場所では無かろうかと疑う。

下川原奔王.gif

 上図のように、平の2点部分が不明快
だと私見され、縦棒は1直線では無く、
漢字で3文字墨書で「夫王山」の夫の、
横棒が3本書体の、「奉」の意味のよう
にも見える。ないし、将棋駒名からは遠
くなるが、「天王山」かもしれない。
 発掘報告書の「祭祀用」は的確だが。
年号墨書の割合が多くは無い事から見て、
本当に天平かどうかが怪しく、経緯の詳
しい特定まで出来るかどうかについては、
100%確実とまでは行かないのではな
いかと、本ブログでは疑っている。
(2023/05/19)

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