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大阪府豊中市桜井谷窯跡で古墳期泰山墨書土器(長さん)

 今回は大阪府豊中市の表題土器窯跡で、
古墳時代後期、6世紀成立とみられる、
広口瓶のような形の蓋杯とされる土器
遺物に、漢字で「奉山」のように見える
模様があるとの旨の紹介である。
 遺物の写真がweb上に公開されて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所発掘報告書デタベース
全国遺跡報告総覧に登録公開されている。
 pdfファイル名は以下の通りである。
4556_1_桜井谷窯跡群2-17窯跡.pdf
発掘報告書の名称は、以下の通りである。
桜井谷窯跡群2-17窯跡、1982年12月
少路窯跡遺跡調査団。
 発掘報告書第3ページ付近の「位置と
環境」によると遺跡の場所は、大阪府
豊中市少路2丁目。第4ページの「調査
の経過」により遺物が出土したのは、
西暦1977年前後の事のようである。
 遺物の成立年代は、遺跡自体が土器窯
跡と考えられ、遺物の周辺遺跡の形との
比較から6世紀、古墳時代後期の物品で
あると見られているように、私には読み
取れる。
 遺物の写真は発掘報告書、写真図版第
17:”TN2-17灰原内出土遺物”
最上段右にあり、写真図版17の遺物
番号2番との旨ナンバリングされている。
広口の瓶のような形の土器に、私には見
える。

桜井谷泰山.gif

 上図のように、中段のやや左に漢字で
「山」と書いたように見える黒い模様が
あり、その右隣の暗い塊模様が「奉」と
書かれているようにも見える。「奉山」
と書かれ、古墳時代に大阪府を拠点とし
て山に入り、生産活動を行った古墳時代
の者が山を奉じたか、または遺跡に近接
した低山「坊主山」を土器釜の職人たち
が奉じたか、以上のような事情と考えら
れる。これまで複数回本ブログで報告し
た、古墳時代後半の漢字で「山奉」「奉
山」と書かれた疑いのある遺物土器の、
作成経緯の一例であるように私は考える。
(2023/05/24)

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