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長野県佐久市下聖端遺跡で平安中期山泰墨書土器(長さん)

今回は、発掘報告書でも「山本」と釈文
していると見られる、飛びぬけて明快な
「山奉」型墨書土器で、「奉」が「本」
だが源泉・始原を表す「夲」、すなわち
本が「大」+「+」である長野県佐久市
長土呂遺跡群出土の、古代墨書土器遺物
の紹介である。
 遺物の写真がweb上に公開されて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が
奈良文化財研究所発掘報告書デタベース
全国遺跡報告総覧に登録公開されている。
 pdfファイル名は以下の通りである。
882_1_国道141号線関係遺跡.pdf
 なお、本文pdfが全国遺跡報告総覧
の離れた場所に登録されていて、本文
pdfは以下の通りである。
246_1_国道141号線関係遺跡.pdf
 発掘報告書の名称は以下の通りである。
佐久市埋蔵文化財調査報告書第9集
国道141号線関係遺跡:下芝宮遺跡Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ・Ⅳ・
上高山遺跡・下北原遺跡・上宮原遺跡・下蟹沢遺跡・
上大林遺跡・下聖端遺跡Ⅰ・Ⅱ、
1992.3、長野県佐久市教育委員会・
佐久埋蔵文化財調査センター。
 今回話題にする遺物は発掘報告書写真
図版pdf末尾の遺構図によると、この
うち最後の、下聖端第Ⅱ遺跡で出土した
ようである。なお、第Ⅰ遺跡と第Ⅱ遺跡
は接続してい無い。各遺跡の遺構の成立
年代は、バラバラのようである。
 遺跡の場所は発掘報告書本文pdf
「調査の概要」第5ページ付近の記載に
より長野県佐久市大字長土呂宇下聖端。
遺物が出土したのは、同本文pdf8ペー
ジ付近の記載により、1988年前後の
事のようである。
 遺物の成立年代は、遺物は第46号
住居跡から出土したが、発掘報告書本文
pdfの第231ページ付近の記載に
より、住居跡自体が平安時代中期のもの
とされ、出土した墨書土器もそのころの
ものと考えられているように読み取れる
と考える。古代のこの遺跡の性格につい
ての記載は私には発見出来てい無い。
長野県佐久市に存在した律令集落なので
あろうか。
 遺物の写真は写真図版pdfの方の、
写真図版第165の、右の列の下から第
2段目に、墨書部分の拡大写真がある。
遺物の説明として、上大林遺跡と下聖端
第Ⅰ~Ⅱ遺跡発掘時の第46号住居跡の
第7番遺物との旨注記がある。杯の側面
に墨書が有るように、私には認識される。

下聖端山泰.gif

 上図のように一見して本が源泉・始原
の意味の「大」+「+」である、漢字で
「山夲」と書かれている。この山間部の
遺跡で、長野県のこの地方から眺望され
る山々を、平安中期に奉じた祭祀用では
ないかと私は疑う。(2023/06/11)

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