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長野県佐久市藤ケ城跡遺跡で奈良期山泰等墨書甕(長さん)

 今回は長野県佐久市小海線沿いの山の
景色が良い表題遺跡で、古墳時代より、
継続して有力豪族の首領等が王等と崇め
られ、更に山の信仰とも結びついていた
ようにも見える、奉王・山夲の同時墨書
遺物出土例を紹介する。
 なおこの回の発掘で古代に成立のこの
遺跡では、その他に墨書土器が複数出土
しているとの旨、発掘報告書には記載さ
れているように本ブログの管理人は読む。
 遺物の写真がweb上に公開されて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が
奈良文化財研究所発掘報告書デタベース
全国遺跡報告総覧に登録公開されている。
 pdfファイル名は以下の通りである。
131477_1_藤ケ城跡.pdf
 発掘報告書の名称は以下の通りである。
長野県佐久市埋蔵文化財調査報告書第293集
藤ケ城遺跡、2023.3、佐久市教育委員会。
 発掘報告書末尾抄録により遺跡の場所
は、長野県佐久市岩和田字上ノ城
2041-2。遺物が出土したのは西暦
2015年前後の事のようである。
 遺物は2個ある。順に成立年代は以下
の通りとみられる。
 奉王と読める遺物は竪穴住居跡第2号
で出土したが、発掘報告書第15ページ
付近の記載により、住居跡自体が共出土
遺物から8世紀後半の奈良時代後期と
見られているように私には読み取れる。
 それに対して山本と読める遺物は、
竪穴住居跡第42号で出土し発掘報告書
第85ページ付近の記載から住居跡自体
が出土遺物から8世紀の奈良時代成立と
みられているようである。両遺物とも、
以下同じ奈良時代成立として議論する。
 奉王墨書土器は発掘報告書の写真図版
第82の左から2列目の第4段目に在り、
竪穴住居跡第2号の遺物番号第13番と
の旨ナンバリングされている瓶型土器の
ように、私には見える物品である。小型
甕のようである。

藤ケ城奔王.gif

 上図のようにカスレている上に反時計
回りに寝ているが、漢字で「奉王」と読
めるように見える、薄い模様が有るよう
に私見する。
 山本墨書土器は発掘報告書の写真図版
第105の中央列最下段に在って、第
42号竪穴住居跡の第4番との旨ナンバ
リングされている甕型土器のように、私
には見える物品である。

藤ケ城山泰.gif

 上図のように今度は濃いが、漢字の山
と本(夲)とが、やや薄く山の絵を挟ん
でごちゃごちゃと接近して中央やや左中
段に縦に書かれているように私見する。
本は「+」が右にややズレ、「大」+
「+」の夲のように見える。山奉の意で
あると私見する。
 奈良時代に於いて長野県佐久市には、
有力豪族ないし武装集団がおり、首領は
王と崇められて何らかの、物品を献上さ
れ、かつ現地では周囲の山に対して奉じ
る山岳信仰がほぼ同時期8世紀奈良時代
に存在したのであろうと疑われる。
(2023/06/16)

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