長野県箕輪町松島大原遺跡で9C初奔王墨書時甕(長さん)
今回は長野県上伊那郡箕輪町の表題松島大原
遺跡で、9世紀前半のものとみられる長甕
型土器に「奉王」と書かれているようにも
見える暗い模様が在り、長野県のこの地方
では、平安時代初にも古墳時代頃に引き続
いて土地の有力者を「王」と呼んで、墓に
埋葬等していた疑いがあるという旨の紹介
をする。
遺物の写真がweb上に公開されて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が
奈良文化財研究所発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録公開されている。
pdfファイル名は以下の通りである。
7_1_松島大原遺跡.pdf
発掘報告書の名称は以下の通りである。
松島大原遺跡、1998年、長野原上伊那郡箕輪町土地開発公社・
長野県上伊那郡箕輪町教育委員会。
発掘報告書冒頭例言により遺跡の場所
は、長野県上伊那郡箕輪町中箕輪11・
217番地1。遺物が出土したのは西暦
1997年前後の事のようである。
遺物の成立年代は、遺物は第4号住居址
で出土したが、発掘報告書第18ページ
付近の記載により、遺物の形態からこの
住居址自体が平安時代初頭の、恐らく
9世紀前半の意であろうと、私には読み取
れるように考える。
遺物の写真は発掘報告書写真図版第7
の最上段右に在り、スケッチ図第14の、
遺物番号第9番との旨ナンバリングされて
いる、甕のような形の土器である。
上図のように、写真の右に縦にかなり大
きく、ただしはっきりとはし無いが「奉王」
と書かれているようにも見える暗い模様が
有るようである。長甕型の土器が、当時の
墓で使用する故人の遺骨の埋葬用容器だと
すれば、故人が土地の有力者であって「王」
と呼ばれていた疑いがある。古墳時代に引
き続いて長野県の山間部のこの遺跡では、
土地の豪族・武装集団等が、9世紀初に於
いて、依然として古墳時代の如くに「王」
と呼ばれていた疑いがある事を、示唆して
いるようにも私には見える。(2023/06/14)
遺跡で、9世紀前半のものとみられる長甕
型土器に「奉王」と書かれているようにも
見える暗い模様が在り、長野県のこの地方
では、平安時代初にも古墳時代頃に引き続
いて土地の有力者を「王」と呼んで、墓に
埋葬等していた疑いがあるという旨の紹介
をする。
遺物の写真がweb上に公開されて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が
奈良文化財研究所発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録公開されている。
pdfファイル名は以下の通りである。
7_1_松島大原遺跡.pdf
発掘報告書の名称は以下の通りである。
松島大原遺跡、1998年、長野原上伊那郡箕輪町土地開発公社・
長野県上伊那郡箕輪町教育委員会。
発掘報告書冒頭例言により遺跡の場所
は、長野県上伊那郡箕輪町中箕輪11・
217番地1。遺物が出土したのは西暦
1997年前後の事のようである。
遺物の成立年代は、遺物は第4号住居址
で出土したが、発掘報告書第18ページ
付近の記載により、遺物の形態からこの
住居址自体が平安時代初頭の、恐らく
9世紀前半の意であろうと、私には読み取
れるように考える。
遺物の写真は発掘報告書写真図版第7
の最上段右に在り、スケッチ図第14の、
遺物番号第9番との旨ナンバリングされて
いる、甕のような形の土器である。
上図のように、写真の右に縦にかなり大
きく、ただしはっきりとはし無いが「奉王」
と書かれているようにも見える暗い模様が
有るようである。長甕型の土器が、当時の
墓で使用する故人の遺骨の埋葬用容器だと
すれば、故人が土地の有力者であって「王」
と呼ばれていた疑いがある。古墳時代に引
き続いて長野県の山間部のこの遺跡では、
土地の豪族・武装集団等が、9世紀初に於
いて、依然として古墳時代の如くに「王」
と呼ばれていた疑いがある事を、示唆して
いるようにも私には見える。(2023/06/14)