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福島県会津若松市上吉田遺跡で古代奔人墨書土器(長さん)

今回は、「歩立馬奔王(空白)玉」墨書土器
片が出土した会津若松市高野町鶴沼B遺跡の
南1キロ圏内の上吉田遺跡で、秦人と読める
墨書遺物が出土しているとの旨の紹介である。
 平安時代後期の秦氏に関連した武士団また
は豪族の居住を示唆しているのかもしれない。
 遺物はスケッチ図だけweb上に公開され、
遺跡研究紀要に載っている。その研究冊子が
奈良文化財研究所発掘報告書データベース
全国遺跡報告総覧に登録公開されている。
 研究紀要のpdfファイル名は以下である。
86293_1_福島県文化財センター白河館研究紀要.pdf
 研究紀要の名称は、以下の通りである。
福島県文化財センター白河館研究紀要、2017、
公益財団法人福島県文化振興財団
福島県文化財センター白河館。
 遺跡の場所は、以下のpdfの別の文献に
載っている。
86298_1_福島県内遺跡分布調査報告.pdf
後者の報告の名称は以下の通り。
福島県文化財調査報告書第521集
福島県内遺跡分布調査報告24、西暦2017年、
福島県教育委員会。
 後者の第36ページ付近により遺跡の場所
は福島県会津若松市会高野町上高野字村北。
遺物が出土したのは、先の白河館研究紀要
文献の第105ページにより概ね1980年
代の後半程度のように推定される。なぜなら
上吉田遺跡自体の発掘報告書が西暦1991
年前後に発行されていると、注記されている
からである。
 遺物の成立年代は、後者福島県内遺跡分布
調査報告の、第31ページ付近の表により、
遺跡自体が、ほぼ鶴沼B遺跡と同じで、古代
が中心であると見られているように読み取れ
る。遺物により判断されるが秦氏が渡来した
古代であると仮定して、以下議論する。
 遺物のスケッチ図は白河館研究紀要文献の
第106ページ付近の図で上カラムの第1図
”会津地方における墨書土器”の中段中央に
あり、その図の第5番で上吉田遺跡で出土し
た旨が、右下に付記されている。

上吉田奔人.gif

 もとの発掘報告書が、奈良文化財研究所の
データベースの全国遺跡報告総覧等で見つか
らないため、写真でどのように見えるのか、
今のところ私にはわからない。紀要のように
「秦人」と読める可能性も高く、遺跡の場所
に、一例では平安時代後期に豪族が元々居て、
少しずつ豪族か武士団化していたとも考えら
れる。そして武士団は、祖先が渡来人の秦氏
であると名乗っていて、使用者の名前を表現
のつもりで「秦人」と墨書きしたようにも私
には見える。律令集落があり、平安時代には
識字層も居住しているという環境が、鶴沼B
遺跡や上吉田遺跡の周辺に、広がっていたの
かもしれないと私は考える。(2023/06/23)

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