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長野県小諸市宮ノ反A遺跡で古墳末山奉墨書土器(長さん)

今回は以前紹介した長野県小諸市のしなの
鉄道線平原駅付近の遺跡で浅間山山岳信仰
が疑われる、山奉墨書土器が更にもう一枚
出土し、合計2枚在るとの旨の話題である。
しかも甕型土器であり、今回の方が大型で
ある。
 遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
 pdfファイル名は以下の通りである。
314_1_三子塚遺跡群東下原・大下原・宮ノ反A遺跡群竹花・舟窪・大塚原.pdf
 発掘報告書の名称は、以下の通りである。
小諸市埋蔵文化財発掘調査報告書第17集
三子塚遺跡群下原・大下原・宮ノ反A遺跡群竹花・丼震・大塚原、
1994.3、長野県小諸市教育委員会。
 遺物はこのうち、今度は宮ノ反A遺跡群
大塚原で出土したようである。
 発掘報告書冒頭抄録によると遺跡の場所
は、長野県小諸市大字御影新田字大塚原。
遺物が出土したのは、西暦1989年前後
のようである。かなり広い範囲で宮ノ反A
遺跡は、律令集落と考えられているようで
ある。
 遺物の成立年代は発掘報告書の第467
ページ付近の記載によると、ここで話題に
する遺物は、第30号住居址で出土したが、
古墳時代後期後葉のたぶん7世紀前半頃成
立とみられるとの旨記載されているように
読取れる。なお発掘報告書第525ページ
付近に、「一帯の遺跡は全体が、古墳時代
後期から古代の成立」との旨記載されてい
るように、私には読み取れる。
 遺物の写真は発掘報告書の写真図版第
101の左最上段カラム”第30号住居址”
と付記された物品であり、スケッチ図第
541の遺物番号第1番との旨、ナンバリ
ングされている大型の甕型土器のように私
には見える。

大塚原山泰.gif

 上図のように、写真の右端上部の土器口
にかなり明確に漢字で縦に”山奉”のよう
に見える模様が有る。
 以前紹介の、竹花遺跡の墨書土器杯同様
山奉と読め、浅間山を望む位置で古墳時代
末にも山を奉じる、山岳信仰が在ったので
はないかと、疑われると私見される。一帯
で山岳信仰が、盛んだった疑いがあるので
はないかと思う。(2023/06/13)

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