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神奈川県鎌倉市玉縄城跡で鎌倉期王将墨書砥石(長さん)

今回は、以前紹介した不成り鉄将かもしれない
という将棋駒の出土を記載した発掘報告書に、
別の2~3キロ北の、山ひとつ超えて離れた
表題遺跡で「成り奔将王棋」のようにも見える、
五角形の、将棋駒型の砥石片出土遺物の写真が、
載っているとの旨の紹介である。
 群馬県産の砥石ではないかと言う事であり、
何らかの用途の石であって元々、例えば一例
「草津」等と、産地名が書かれていた物品だっ
たのかもしれないと私は疑う。
 遺物の写真がweb上に紹介されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
 以前紹介の次の名称のpdfファイルである。
129213_1_鎌倉市埋蔵文化財緊急調査報告書.pdf
 発掘報告書の名称は、以下の通りである。
鎌倉市埋蔵文化財緊急調査報告書29
平成2012年度発掘調査報告(第2分冊)
玉縄城跡・笹目遺跡・今小路西遺跡・
円覚寺旧境内遺跡・玉縄城跡・天神山城
新善光寺跡・米町遺跡、西暦2013年3月、
鎌倉市教育委員会。
 鉄将(旧字)かもしれないという将棋駒は、
今小路西遺跡で出土していたが、今回紹介する
遺物は玉縄城跡で出土したようである。遺物
同士の成立年代は、鎌倉時代で大差は無いと
みられる。
 発掘報告書末尾の抄録によると玉縄城の場所
は、神奈川県鎌倉市植木字植宿198番。遺物
が出土したのは、西暦2006年前後のようで
ある。
 遺物の成立年代は、遺物は第Ⅳ層の遺構外で
出土し、遺物の出土層のうちの下層である事か
ら、鎌倉時代の比較的初期の頃との印象を、私
は受ける。
 遺物の写真は発掘報告書の玉縄城跡編の写真
図版第14(第57ページ):”出土遺物4”
の、最下段左から2番目に在って、玉縄城跡編
のスケッチ図第22の第11番遺物との旨、
ナンバリングされている。群馬県産の砥石であ
ると解釈されているようである。

鎌倉玉縄王将.gif

 上図のように、はっきりしないが、砥石自体
が全体として五角形の将棋駒型のように写真か
らは見え、右を仮にオモテ面だとして漢字で、
”王棋”と、やや左にズレて縦に書かれ、裏に
”奉”と、潰れて”峰”か”将”か、縦に何か
書いてあるような、不思議な模様が有る。すな
わち「成り奉将の王棋」という妙な、駒名模様
という意味である。
 しかしながら、オモテの第2字のはずの”棋”
は、ヘンとツクリが離れすぎているし、裏面の
第1字目の”奉”もよく見ると花柄の絵のよう
にも見える。
 そもそも石材とすれば、墨書が有る事自体も
も不自然ではあるし、偶然模様の可能性が捨て
きれない。が五角形に加工した、未知の用途の
石材だと仮にして、何か書いたとすれば、王棋
今と本ブログで読んだ部分に、「草津」等の
産地名が書かれた、何らかの用途の石材だった
のかもしれないと考える。
 将棋駒では恐らく無く、周辺の出土将棋駒と
も、関連は恐らく無かろうと疑う。(2023/06/15)

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