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群馬県高崎市本郷上ノ台遺跡で平安初浅行墨書土器(長さん)

今回は発掘報告書で「法師」と釈文した
墨書土器が、「浅行」等にも見えるという
意の話題である。「法行(者)」、つまり
”僧侶用”との意味ではないかと結論する。
 遺物の写真がweb上に公開されて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所発掘報告書データベース
全国遺跡報告総覧に登録公開されている。
 pdfファイル名は以下の通りである。
131442_4_本郷上ノ台遺跡・本郷満行原遺跡・本郷広神遺跡・
本郷西谷津遺跡.pdf
 発掘報告書の名称は以下の通りである。
本郷上ノ台遺跡・本郷満行原遺跡・本郷広神遺跡・
本郷西谷津遺跡・本郷大カサ遺跡・本郷鶴窪遺跡・
本郷菅原遺跡・本郷嶋上遺跡、2023年、
群馬県高崎市土木工事事務所・公益財団法人
群馬県埋蔵文化財調査事業団。
 今回紹介する遺物はこのうち本郷上ノ台
遺跡で出土したようである。本郷上ノ台
遺跡は、本郷満行原遺跡とこの回の調査で
は外したが本郷鶴楽遺跡の中間の領域であ
り、上記の遺跡は道路建設に伴っていて、
西から順に並んでいる。本郷満行原遺跡に、
廃寺跡があり、本郷上ノ台遺跡と本郷
満行原遺跡とは、明らかに平安時代初成立
の関連遺跡同士である。
 発掘報告書第2本文後半pdfの末尾抄
録により遺跡の場所は、群馬県高崎市本郷
町818-1。遺物が出土したのは西暦
2018年前後の事のようである。
 また発掘報告書第34ページ付近の記載
により遺物の成立年代は、この遺物が本郷
上ノ台遺跡の第42号竪穴建物跡で出土し
たが、遺構面の深さと遺物から、9世紀の
平安時代初成立と見られており、遺物も、
そのころの物品と解釈されているように、
私には読み取れる。
 遺物の写真は発掘報告書第4写真図版
pdfの写真図版(PL.)第284の
最下段左から3番目にあり、第42竪穴
建物跡の第3番との旨ナンバリングされて
いる。杯型土器のようであり土師器である
との事である。また発掘報告書の、第43
ページ付近により、墨書土器とみなされて
おり「法師」と釈文されているように、私
には読み取れる。

本郷上ノ台浅行.gif

 上図のように明快に漢字で2文字書かれ
ているようであるが、第1字目は崩してあ
り、「法」のようでもあるが「浅」のよう
でもある。第2字目はヘンもツクリ共
カスレていて、発掘報告書では「師」と読
んでいるが「行」のようでもある。
 公平に見て「法行」のようであり、使用
する僧侶が、謙遜して仏法の行を行う者の
意味で「法師」が順当だが「法行」と平安
初期に使用者名を書いたようにも、私には
見える。よって冒頭のように結論する。
(2023/06/17)

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