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エクセルマクロは将棋盤の書式貼付けに役立つか(長さん)

以前本ブログで、表計算ソフトの左上の領域
を将棋盤にしたとき、その180°反転計算
結果部を、下部に表示するとして、計算結果
に駒の敵味方を表示するセルの180°回転
が、情報移行され無い為、別のセル領域に、
セルの向きに関する情報を保管し、
indirect関数による計算結果部に、
書式貼り付けを手作業で行う旨の紹介をした。
 ところで表計算ソフトには、通常マクロ機
能があり、自動でその動作が可能等と、紹介
されている。そこで、今述べた将棋盤セル
領域の、セル向き情報に関する書式保存や
貼り付けを、マクロとVBAで行ったらどう
なるのかを、今回文献で調査した。個々の
作業ケースで、コピー・移動・貼り付けする
セル領域の具体的パターンの違いにより、
作成したマクロのプロシジャーは、それぞれ
別々になってしまい、マクロを作っても使用
する、具体的プロシジャーがどれかで間違い
が発生し易く、よって、マクロ/VBAを

使わないときよりも、使った時が、余り便利
になら無いとの心象

を得た。
 さて、たとえば米マイクロソフト/
オフィス/エクセルには、VBAでマクロ
を作る機能と、プロシシャーを登録する機能。
プロシジャーを呼び出す機能と、プルダウン
から選択するのではなくて、プロシシャー毎
に、エクセル画面に長方形の「ボタン」を作
成する機能があるとの事である。
 しかしながら、書式コピー/貼り付けの
プロシジャーは、株式会社インプレス、西暦
2022年発行「できる逆引きExcell
VBAを極める勝ちワザ716」の、ワザ
第134(184ページ付近)等によると、
書式貼り付け関係のエクセルVBAマクロは
次の1種類程度であり、

オブジェクトがセル番号で定数値として記載

されている。
 つまり、下図に書かれているが、

コピペするパターンの差で、別々にプロシ
ジャーを作り、ボタンは、複数作成しなけれ
ばならない。

エクセル書式コピペ.gif

 ちなみに、本書本文の説明によれば、上記
のCurrentResionの記載で範囲
は、その右と下に空白列、空白行が1行以上
存在する事により検出されるので、前に
本ブログに説明したように、貼り付け領域を
将棋盤に、

隙間無く、くっ付けては、たまたまだが駄目

である。ただしこの点は「隙間を作れば良い
だけ」なので、本質的な問題にはならない。
 言語アプリケーションのBASICの類で
ある、ビジュアルBASICのように、
input文等で、左上セル座標を指定する
機能がエクセル/マクロのVBAに有るとは、
前記参考書には記載されてい無いようである。
 よって、マクロを使って作成できるという
操作ボタンは、どこからどこへ書式コピー/
貼り付けするかによって、ボタンが全部別々
になるように私には受け取れ、これでは、
手作業でコピー/書式貼り付けするのと、

どれを使うのか判断の手間と、操作ミス頻度
が増し、利便性は総合的には余り変わら無い

と私には懸念/判断される。
 よって、本ブログで問題にしている、将棋
駒の向き表示の、個々に調子が狂った場合の、

手直しの手間は、エクセルマクロ/VBAを
使っても、期待するほど便利には、なら無い

のではないかと疑えると私は思う。(2023/08/11)


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鎌倉横小路流改善熊澤良尊型大将棋の作戦(長さん)

以前に述べたように、飛龍がその下段
升目に無く、左右横行が下段移動出来
る表題の鎌倉横小路流改善熊澤良尊型
大将棋では、108枚制の普通唱導集
大将棋と異なり、相手横行を、
龍馬×2、角行×2+奔王の横利き
で集中的に狙う作戦は、空振りである。
 では良く使われる作戦が、どういう
ものになるのかを、今回は考えてみた。

横行の前の歩兵を集中して狙って取り
除き、自分の歩兵のトライ狙いをする

というのが、最も判り易そうだ。
 つまり、

横行が、攻撃に恐れをなして頭歩兵の
防御を、最初から放棄してくれる事を、
逆に利用する

という作戦である。
 さて、96枚制の平安大将棋の類の、
鎌倉横小路流改善熊澤良尊型大将棋の
初期配列は、以下のようなものである。

改善熊倉良尊悪行入 (2).gif

 1~2段目が、通説平安大将棋の、
桂馬列を2つ内に移動した配列で、
その為「平安大将棋型」では無く、
「熊澤良尊型」と提案者の名を冠して
いる。駒の動かし方のルールで悪行は、
旧横行、反車は奔車でもどちらでも良く、
二中歴平安大将棋の奔車の動きである。
横行は移動済みなので、元位置に類似の
名の悪行が入って、鎌倉横小路(遺跡)
流となっている。
 3~5段目が、飛龍列の無い、15×
15升目の130枚制(後期)大将棋の
4段目より上の配列であって、駒のルー
ルは、後期大将棋のルール。
 以上のようなものと、本ブログでは
見ていた。後鳥羽上皇期の大将棋の一種
であり、成も持駒も無いのでセルを駒と
見て、表計算ソフトで指すのに最も適す。
 玉が取られたときだけでなく、相手の
玉を1枚にしたら、次の手で玉が玉で取
られても駒の多い方が勝ち。更に、特殊
なのは攻め力と守り力のバランス調整の
為、歩兵・仲人・悪行が、相手最上段か
ら更に外に出せたら、玉が詰んで無くて
も勝ちという、どうぶつしょうぎの

トライルールに似たルールを入れた

という点であった。最後は私が新たに加
えたルールである。
 そこで、この初期配列から、相手左の
端から2列目の歩兵を、自分の歩兵・
桂馬や飛龍で睨むように駒を組むと、
一例では以下のようになる。

改善熊倉良尊悪行入0809.gif

 なお、上記は一例で先後手同形に組ん
でいて、当然、相手はその歩兵が取られ
ないように、相互に既に駒組を変えて、
防御している。
 この陣形から仕掛けても、この将棋の

局面の進行は、獅子タイプの駒を欠き
かなり緩やか

である。両方とも玉が詰むように強く攻
めるのが、困難であるからである。
 一例では、先手が横行を攻め駒に変更
して1歩ずつ進める等して相手の左反車
と香車を取り除いてから、複数の小駒で、
残りの相手の端筋の歩兵を捕獲し、自陣
の歩兵をトライして、以下のように先手
勝ちで勝負が付いた。

改善熊倉良尊悪行入0809終.gif

 この将棋は、玉詰みを狙ういわゆる
将棋やチェスの仲間では無く歩兵・仲人・
悪行の何れかが”上がれる”ように、

玉将を含めて、自陣駒が協力するゲーム

に近い。差し回しのカテゴリーが、例え
ば日本将棋とは相当に異なる。つまり、

別種のゲームの雰囲気の相当に強い将棋

である。
 日本将棋と並び立つ「大将棋の代表」
という認識では無く、ノートパソコンで、
表計算ソフトを使うのに便利な、お遊び
ゲームと見て、

気楽に遊ぶのが良い

と思う。「大将棋」の中でも、その扉を
開ける、きっかけとなる為の、真打では
無くて前座、或いは二つ目という格付け
のゲーム。そう言った位置づけで良いの
ではないかと、このゲームについて、私
は感じる。(2023/08/10)

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表計算ソフトでセルを入れ替える(長さん)

チェス・将棋類に一般にそのようなルール
のものは、特に見当たらないが。相手の駒
を取るのではなくて、動かす自分の駒の元
位置に、相手の駒を移動させるというルール
も、原理的に作成できる。ただし、自分の
手で自陣奥に、相手駒を進めてやる訳だから、
お手伝い手になり易く、だからそのような
ルールを持つ、将棋類が見当たらないのかも
しれない。なお、チェスのキャスリングでは、
味方のキングとルークの間で、それに近い
事をするが、キングが端へは行かない。
 表計算ソフトでは、メモリスタックに、
切り取ったセルの内容が保管しているはず
であり、米マイクロソフト/オフィス/
エクセルでは、2003年バージョンから、
画面の最上段に表示されるタスクバーの、
ホームタブの左上(トップ)に、「貼り付け」
の下に「クリップボード内容の表示」の
プルダウン・メニューが付いている。
 セルを交換する場合は、自駒を移動させる
前には、相手駒の来る位置が空いておらず、
とにかく第3地点の、この場合はクリップ
ボードに、相手駒を一時保管するしか無い。
エクセルの場合は、この一時保管が

セルを切り取っただけで、貼り付け操作を
省略してクリップボードに相手駒は移動する
ので、便利

である。
 この機能は、他の表計算ソフトでは、少な
くとも目立つ位置に、メニューが表示されな
い。内部的には、メモリースタックに切り取っ
たデータが保管されてい無いとしたら、動作
を戻すことが出来ないはずなので、エクセル
と同じ仕組みになっているはずではある。
 「クリップボード内容の表示」は、
エクセル2003では、少なくとも目立つの
で。エクセル画面を逆さに見ている側から
多分だが、余り不便無く操作できるというの
が現実であろう。相手の駒を自分の元居た
位置に押しやる(進めてやる)というルール
は、繰り返すが

通常の将棋類には、存在し無いルールだが。
米マイクロソフト/オフィス/エクセルの
場合だけ、そのようなルールが、仮に有ると
すれば操作が、し易い表計算ソフト

のようである。なお、エクセル97程度まで
時代が遡ると、エクセルにもその機能は無かっ
たようで、上部に表示される操作バーの形態
が、他の表計算ソフトと、よく似た形式に
なっている事も、私にも最近確認出来ている。
(2023/08/09)

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(コラム)グレゴリオ暦は改善必要か(長さん)

私的認識だが。世界暦すなわち改良グレゴリオ暦とは、
以下3つの要素からなると考える。
(1)2月の短さの改善。
(2)曜日の万年化。
(3)小の月が「にさごろやく士」。ただし6月閏だ
と「ごろ」の「ろ」が消えるという、ほぼ完全均等
大小暦の導入。
 本ブログでは(2)・(3)採用により、13日の
金曜日が生じ無い西暦2024年からの導入チャンス
という観点から、その前年4か月前の現時点で、見解
の表明が必要という認識で以上の是非に関し、以下私
見を述べる。
(1)に賛成、(2)・(3)は反対。特に8月は
大の月のままで良く、

私見だが(3)は止めるべきだ

と考える。
 以下に説明する。
 2月が短いのは金融的な面で、世界的にマイナス要
因だと考える。2月に閏日を作るというのも中途半端
で、現行ほとんど無意味。

西暦2024年は1月を30日、2月を30日、閏は
12月にし、そのとき31日、平年は12月を30日
として、改暦に進むに賛成。

 次に、(2)には当方反対。
 曜日の計算は、どっちにしろ暗算程度で可能であり、
手間が少なくなるだけあって、質が変わるほどで無い
から

バビロニア起源文化を崩してまで、する価値は無い

と考える。
 現行は、暦の専門書には出ているが、ようするに、
西暦1900年が月曜つまり1曜日で始まる事。
2000年は1後退して日曜日(0曜日)、2100
年は、平年で金曜日。1600年から100年毎で、
1600、1700、1800、1900、2000、
2100、2200、2300年・・・1月1日で
(+1)を抜き「係数化」すると、6,4,2,0,
6,4,2,0,・・(曜日)になっているという事。
 任意の年の1月1日の曜日は、西洋暦下2桁00年
との差に、閏年の数(04年から1/4の割合で、そ
の年の分まで)を足して7で割った余りに、2000
年は6が係数なので、6を足し、7を超えたら7を引
いて、その年の係数を出し、それに1日の1を足した
のが、1月1日の曜日。1月の曜日は年係数に、月係
数の0を足し、更に日の数を足して、7で割った余り
を1なら月曜・・・0なら日曜として、曜日を求める。
 以下、2,3,4,5,6,7,8,9,10,11,12月は、1月が0
で以下、3,3,6,1,4,6,2,5,0,3,5。ただし閏年は1月は
-1。以下2、3,6,1,4,6,2,5,0,3,5。以上が月係数(定
数)それに1加えたのが、毎月1日の曜日(1が月曜、
2が火曜、3が水曜、4が木曜、5が金曜、6が土曜、
7は0であって日曜)。任意の日は、ついたち(1日)
の代わりにその日付けを足す。以上が現行の計算方法。
なお、西暦2024年の年定数は1。うるう年なので、
1,2,3,4,5,6,7,8,9,10,11,12月は
-1、2、3,6,1,4,6,2,5,0,3,5が月定数。
 それが、世界暦のエリザベス・アケリス案で、冒頭
(1)(2)を2024年以降に採用すると次のよう
になる。年定数は、常に0。
 1月を0として、2,3,4,5,6,7,8,9,10,11,12は、
2,4,0,2,5,0,3,6,1,4,6が係数。
 1日のときには、今の数に1を足す。任意の日数
なら、今書いた数に日付け数を足す。
 確かに、年初の1月0日係数を求める分の手間が、
いつも0だから、だいぶん少なくなるが、

0,2,4,0,2,5,0,3,6,1,4,6の
数列は暗記しないと、曜日が求まらない。

なお、今の議論では(3)を考えずに現行の大小暦で
述べたが、(3)を考えた場合は、
0,3,5,0,3,5,0,3,5,0,3,5に
なるから、簡単化の方向に向かうが、計算はやはり要る。
 暗算の手間を怠けている現代人は、よってカレンダー
が、改暦しても必要になる事に大差は無く、文化を
破壊する等のリスクを背負ってまで、曜日を年により、
一定化しようという

(2)の採用に関して、世界暦はする必要は無い。

 3番目について。現行の3~8月大4日、9月~2月
大3日&2月-2日制度は、春分、夏至、秋分、冬至が
20日少し過ぎ、各「立」、春夏秋冬が、5日前後の状
況を、不完全ながら差をつける事によって、さもさも
尤もらしく保っているという点で、民に安心感を与えて
いる。ようするに地球軌道の、楕円隠しに役立っている。
だから、四季完全均等な日数配列という世界暦案は、

正義とまでは言えない。

 当方は、この先西暦3500年までだけ、1月と平年
の12月を1日ずつ減らし、2月を30日にする案を
続け、

万年暦にするのではなく、切良く西暦表現の3500年
ごとに、地球の春分点に対する近日点移動に合わせて、
月の大小パターンは変化させるような新世界暦にすべき

だと考える。ただ閏で、12月が31日になる程度は、
やむなしか。以下蛇足だが。頭が混乱しにくいという点
では、4割って3余る年の年末に閏を入れるようにした
方が、暦誤差の点から逆行だが、暗算するときにはすっ
きりするようだ。よって、世界暦の第3の点については

反対。

 全体として、世界暦には行き過ぎが有り、1955年
のアメリカの絶対反対姿勢には、(1)の点の正しさと
いう点で全面賛成はできないが、少なくともアメリカに
は理が有ったように考える。
 西暦2024年に試しに実施すると、2月だけ曜日が
狂うが。
 物事真面目に考える気が有るなら冒頭(1)に関して、

西暦2024年1月は30日に、2月も30日という
世界暦のコンセプトだけは尤もらしく、一考すべき点

ではないかと私は考える。(2023/08/08 その2)

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表計算ソフトで七国将棋は可能なのか(長さん)

表計算ソフトで、3人以上のチェス・将棋ゲーム
をするという事が可能かという課題について以下
考える。ただし、表計算ソフトのセルは方形なの
で、3人型は困難である。そこで指す将棋は、
方形の盤を使用する物に、一応限るものとする・
 この条件でも、4人~8人将棋は、方形に駒を
並べれば可能性が残るとみられ、ここでは難易度
の高い、7人制の将棋型ゲームについて考察する。
 そこで例えば七国将棋を指すには、独ドキュ
メントファウンデーション社/ライブルオフィス/
カルク以外は困難と推定出来る。

米マイクロソフト/オフィス/エクセルに、
文字の270°回転(時計回り横倒し)の機能が
見当たらない為

である。そこで計算ソフトの可能性は冒頭のよう
に絞られ、ライブルオフィス/カルクで、

条件付き書式で駒の色が8色に出来るのかどうか

に焦点は絞られると見られる。なお、七国将棋は
取り捨てで成りも無いから、駒名の変更は無く、
あら氏の「さかさマウス」、BABA氏の
「最前面でポース」が使えれば、計算ソフトの回
転は、必要無いと見られる。
 ただし、取った駒は勝敗を決める為、重ね書き
せず保管する必要が有る。
 そこで、ライブルオフィス/カルクで条件付き
書式で、含文字のときの色づけの操作をすると、
3色デフォルトを使用、5色拡張書式(無題○○)
を使用して駒文字8色の塗り分けは出来るが、

9色以上になると、誤動作して駄目なようだ。

 前にした登録が、無効化してしまった。なお、
形式的には19色まで、登録動作は可能である。
 以下に君主駒だけだか、駒を適当に色分けして
入力した例を示す。

七国将棋テスト.gif

 7国将棋は可能だが、8国将棋を表計算ソフト
で指すのは、よって困難かもしれないと結論した。
 まあそれ以前に。ノートパソコンに、7個、
8個と、多数の台湾A4TECH社の4ボタン
マウスを繋げて、本当に正しくデバイスが動作す
るのかどうかも、心配ではあるのだろうが。
(2023/08/08)

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古事類苑30遊戯部「だいしょうぎ」は男重宝記起源(長さん)

最近まで、私的に読み飛ばしていたのであるが、
古事類苑30遊戯部には、「摩訶大々将棋」と
「少将棋」を除いて、現代仮名遣いで書くと、
中将棋には「ちゅうしょうぎ」、
大将棋には「だいしょうぎ」、
大々将棋には「だいだいしょうぎ」、
泰将棋は「大将棋」と表現して「おおしょうぎ」
と振り仮名が、見出し以下の最初の記事に付い
ているように見える。が、錯覚であり、

男重宝記(第3巻)「盤上の事」に、ふりがな
が元々付いているのを、古事類苑30遊戯部が
踏襲しただけだ

と最近気がついた。つまり、

大将棋の読みが「だいしょうぎ」で良いという
主張にとって、有利な史料を私が見逃していた

という意味である。
 さて男重宝(寶)記(なんちょうほうき)は、

元禄時代成立との事なので、130枚制大将棋
を元禄期に「だいしょうぎ」と読む事が有った

と解釈できるようだ。
 これまで、本ブログ管理人が私的に気が付か
無かった錯覚に、今になって気がついたのは、
「少将棋」も、男重宝記(第3巻)「盤上の事」
として古事類苑30遊戯部に載っており、「し
ょうしょうぎ」と振り仮名が付いているのだが、
古事類苑30遊戯部の、項目が変わる、変わり
たての先頭に、たまたま男重宝記(第3巻)
「盤上の事」「少将棋」だけが無いのに、ふり
がなは、相変わらず他の将棋同様、付けている
という状況になっているのにようやく気がつい
たからである。よって大将棋を「だいしょうぎ」
と読むのが、全くの間違いだと言い辛くなった
と、いう事になった。
 他方、同じ「大将棋」と書いて泰将棋の事を
「おおしょうぎ」と、例えば豊臣秀次に読まれ
ていたとすれば、他ならぬ豊臣秀次の命名であ
る可能性も有り、ひょっとすると

大合戦を「おおがっせん」と、豊臣秀次も言っ
ていたので、それに準じた

のかもしれない。男重宝記(第3巻)「盤上の
事」の、恐らく記載通り大将棋と書いて130
枚制は「だいしょうぎ」、25×25升354
枚制は「おおしょうぎ」と両方有って、後者を
泰将棋にした理由の通り、元々紛らわしい状態
だったのではなかろうかと思う。(2023/08/07)

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異制庭訓往来の将棋項の書出しは葉室宰相(長さん)

南北朝時代成立の異制性庭訓往来に将棋の
記載があるのは著名である。が、今回は、
往来手紙形式で書かれた本史料の、仮想の
宛名に着目し、将棋の説明の中に現れる
君主が、後鳥羽天皇であるように取れると
の旨指摘する。将棋の入った往来文は、
「謹上葉室宰相殿」で始まるが、その
「葉室」は、藤原定家の日記に現れる、
将棋を指したとされる人物、

宰相では無いだろうが葉室仲房を連想

させるからである。
 さて異制庭訓往来の将棋の説明は、トッ
プの手紙「正月六日」付けの往来文の中央
付近に在る。
 出だしは繰り返すと、「謹上葉室宰相殿」
になっていて、架空だろうが宰相充てであ
る。葉室家で、将棋で名を残したのは、
明月記の葉室仲房が、代表的であろう。
 正月は宮中で新年祝いでゲームをして
楽しんだという事が、当然有ったとみられ、
その為、異制庭訓往来では、ゲーム類の
項目が並んだ、1月6日日付の仮想往来文
がトップになっている。
 鎌倉時代前期に中国の故事に習い、
後鳥羽天皇の周辺で各種の将棋が指された
という事が、南北朝時代には良く知られて
いたという事が記載から、かなり確かなよ
うに思われる。
 藤原定家の日記の葉室仲房に引っ掛けて、
手紙の架空のあて先が、「葉室宰相」に
なっているというのは、そのような意味で
あろう。
 逆に言うと例えば「藤原隆家に薦められ
て、後一条天皇が原始平安小将棋を指した」
という事が有るとして、それを知っていて、
後鳥羽天皇がそれに習い、側近と将棋を、
たしなんでいるという情報を、後鳥羽天皇
自身が敢えて広める事は、しなかったので
あろう。その為南北朝時代になると、将棋
伝来時11世紀初の経緯は、一般にはほぼ、
忘れ去られ、将棋を指した天皇としては、
後鳥羽天皇が、最も有名になっていたのか
もしれないと推定する事が出来そうである。
(2023/08/06)

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鎌倉時代72候が注目された根拠(長さん)

本ブログでは、二中歴の大将棋が68枚制で
あるにも係わらず、鎌倉横小路流改善二中歴
大将棋が96枚制、普通唱導集の大将棋が
108枚制なのは、24節気+72候で96、
年月数+24節気+72候で108であり、
一年の暦に出てくる数に則っているからだと
説明してきた。また室町期・安土桃山期に成
立年代が下ると本ブログでは見なしているが、
摩訶大大将棋/摩訶大将棋と大大将棋が
192枚制なのも、片方96枚で同じ理屈が
応用され、中将棋の92枚制も、鉄将が取り
除かれたからで、原始的には96枚制だった
としている。
 しかしながら、72候は分け方が細かすぎ、
気象変動のフレに吸収されて、実際には察知
され無いものを、無理に表現したものである
との見解が、各暦本では主流である。だから、
前記で述べた各将棋の成立期に、

72候が本当に優勢だったかどうか、根拠を
挙げないとおかしい

と考えられる。そこで今回は、暦の研究書で
72候が特に、鎌倉時代に社会に浸透してい
たとみられる根拠を探してみたので紹介する。

岡田芳朗編、朝倉書店の”暦の大事典”に、
「仮名暦にも(1100年から1499年の、
400年間では)1288年、1310年、
1323年、1344年、1345年の、
鎌倉時代~南北朝時代にかけての5回だけ、
72候が載っている」

との旨の記載が有る。
 岡田芳朗編、朝倉書店の”暦の大事典”に
関して、そのように記載されているのは、
第11章日本の暦の様式と内容の、第406
ページ右の欄である。
 この事から、特に鎌倉時代の後半から
南北朝時代にかけては、社会全体に72候が
行き渡っていたと推定できる。各種の将棋は、
上流階級の方が駒の入手の容易性から、指す
のには有利だが。鎌倉時代の中~後半で、
戦乱期では無い時代、中流以下の武家・僧侶
等でも駒の数が多く、指すのに経済的負担が
やや多くても、都市部の遊び所で指すという
状況であるとすれば、72候が行き渡ってい
れば、96枚や108枚制の将棋の普及には、
有利だったとみなせると本ブログの管理人は
推定する。なお「具注暦には72候が、何時
も記載された」といい、貴族・皇族に72候
が、いつの時代も身近だったのは自明のよう
である。
 ちなみに江戸時代には貞享の改暦期に和製
72候が流布。明治の初めにも暦に記載され
たとの事である。その他の時代は現代まで、
文献を調べないと、72候の内容は判らない
程度の普及度とみられる。
 よって鎌倉時代は平安時代後期、室町時代
に比べても、72候がより優勢だったという
根拠は以上が示しているので、96、108、
192の各枚数の将棋類が、少なくとも発生
することに、矛盾は少ないように私見される。
(2023/08/05)

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(コラム)カスタムペインの2枚目はモミジアオイ(長さん)

晩秋のフリージアに停まっている「暖かい秋の
アサマイチモンジ蝶」の写真の下は、2023年
7月の咲きが盛大だった、フヨウ、ハイビスカス
の仲間「赤花モミジアオイ」の花群。
 鉢植えの為、水やりの手間が特にかかり、その
努力の結果を主張しようとしましたが。この年は、
日本の気象観測史上、最も暑い7月となり、自慢
というよりは温暖化の警鐘になってしまいました。
 危険な発芽時代が短く、虫にほぼ食されないの
で余りに増えすぎ、小鉢で冬越しの2年目株は、
標準的な10号鉢でなく、8号鉢植えで我慢せざ
るを得ず、7月20日過ぎ撮影のこの時点では、
まだ咲いていませんでした。ただし8月5日頃、
2年目株も、咲き出す予定。ちなみに写真の
3年目以上株群の咲き出しは、この年は特に早く、
7月上旬から開花を開始。8月頭で日替わり花の
総花数は例年の1年分、200輪を超えました。
 花が大きいが、一日花で、同時に見える花数が
少ない為、近代日本で人気が上がらず貰い手無し。
その為庭が狭く鉢植えだと、前代未聞・未踏の水
やり栽培努力が必要となります。
 日が高くなる前に、その水やり作業をし無いと、
今年は体に暑さが特に堪えるので。写真の説明は
以上の位で、とりあえず皆さん御勘弁を。この
植物の鉢植え栽培は、しみじみしんどいです。

モミジアオイ.gif
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長崎県壱岐市原の辻遺跡で弥生期山泰墨書土器(長さん)

 以前、長崎県の壱岐島の遺跡で、土器の
内面に「立行」ないし「竪行」に見える
ような、暗い模様の入った、土器のカケラ
が出土したとの旨紹介した。が、今回は、
同じ発掘報告書に、別の年度だが弥生後期
成立に間違い無いとみられる、漢字で
「奉山泰」と読めるような模様のある、
墨書壷土器が出土していると取れる、写真が
公開されているとの旨の話題である。
 奈良文化財研究所発掘報告書データベース
全国遺跡報告総覧内の、pdfファイル、
発掘報告書の名称、遺跡の場所、出土年、
遺物の成立年代は、順に以下の通りである。
 pdfファイル名は、以下の通りである。
132014_1_壱岐原の辻遺跡.pdf
 発掘報告書の名称は、以下の通りである。
壱岐原の辻遺跡、2023.7、宮本一夫編、
九州大学大学院人文科学研究院考古学研究室。
 発掘報告書冒頭の例言により遺跡の場所は、
長崎県壱岐市芦辺町深江鶴亀触、遺物が出土
したのは、西暦1951年前後のようである。
発掘報告書第1ページ付近の「地理的環境」
によると壱岐島の、南東部に在るようである。
 遺物の成立年代は、発掘報告書第86ペー
ジ付近の記載によれば、下大隈式土器とみら
れ、それは弥生時代後半期の2~3世紀頃の
成立のものと、考えられているように読み取
れる。
 遺物の写真は発掘報告書の写真図版第35・
第1次調査(1951年)出土土器(2)の、
第2段目左に在り、遺物番号第276番との
旨、ナンバリングされている。繰り返すと、
弥生式土器の壷と記載されているように、
本文86ページ付近から読み取れる。

原の辻山泰.gif

 上図のように、胴の中央のほぼ中段、僅か
に右寄りに、漢字で山に見える暗い模様が在
り、その下に、ややはっきりしないが「泰」
のように見える模様がある。山の上の暗い
部分も、更にはっきりし無いが「奉」かもし
れない。「奉山泰」で奉泰山の意味であり、
中国六朝期の「道教」が、壱岐に弥生期の
後期末伝来した事を、示しているようにも見
える。
 この土器については、発掘報告書でも、
成立期に自信が有るようであり、渡来人に
よる早期の、母国漢字の使用を示している疑
いが、完全否定は出来無いのではないかと、
本ブログの管理人は、疑っている。(2023/08/04)

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