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囲碁盤。17路→19路変更を指導したのは誰(長さん)

まだ一部の研究者の間だけのようだが。現在
では定説の、中国での囲碁盤の路数変更に関
して、指揮者が居るという説がある。具体的
にそれは、公的権力に属する者と、考えられ
ているようだ。詳しくは西暦2017年出の、
清水康二氏の明治大学学位論文で、引用され
ている。本ブログの情報は、その孫引きだ。
 今回は、この点に関する本ブログの立場を
明らかにしたい。結論から述べる。
 本ブログでも、囲碁盤が、現行のように
19路になった点に関して

指揮者は居たと考える。

しかし公的権力、たとえば王朝国立天文台の
広報普及室等の担当の活動は、参入したのが
後発であって、唐代等の科学館の学芸員、

民間の天文家の活躍がより大きかったはずだ

とここでは推定する。では以下に論を進める。
本ブログでは、

こぐま座アルファー星が、歳差によって、

中国の唐代以降に、赤緯が+85°を越えて
しまい、メルカトル図法で示した半天恒星図
がモデルと、当時は、はっきりと認識されて
いた、囲碁盤に、

赤緯±90°線が必要になったのが、囲碁盤
2線増加の原因

だと見ている。これに気がついたのは、むろ
ん公的権力の一部であるところの、

五胡十六国時代の、東晋王朝内の暦天文学者

が、中国では最初、西洋ではヒッパルコスだっ
たとみられる。
 しかし、暦学者一人の主張で、囲碁盤の作
成メーカーの責任者や、国土の辺境に至るま
で、碁のゲーマーが皆、本当に動くとは考え
にくいと私は思う。特に唐王朝時代は、囲碁
は、広く分布していただろうから、尚更だ。
 天球儀等を所持した各地方の中国王朝立の

天文館の学芸員や、天文に詳しい人間からの
口コミに、科挙の試験を目指す程度の知識人
が反応し、それが囲碁ゲーマーへ伝わったの
が大きかった

のではないかと、本ブログでは予測している。
つまりは、囲碁の用語は、中国古天文暦道で、
日月星辰の位置を示す際の、専門知識だった
ので、囲碁道自体が無くなるのは、当時の中
国の天文台にとって、大きな痛手だったが、
”北極星視位置の経年変化の話”に関しては、
その道の”総大将”が、手を出すほどの事も
無い、

ズブの素人啓蒙向けの話題だ

と、公的権力は、軽く考えただろうという事
である。
 ここで重要な事は、このケースに関しては、
囲碁盤師や囲碁のゲーマーが、暴力・武力等
の後ろ盾の恐怖から、19路にしたのではな
くて、理屈で、きちんと説明を受けた上で、

”そう言われて見れば、17路の囲碁盤では
おかしい”と、納得づくで19路に変更した

とみられるという点である。囲碁の専門家の
分析によると、17路の方が19路よりも、
ゲームの出来自体は、少し良かった疑いが有
るそうだ。それも、前記、清水論文で指摘さ
れている。囲碁棋士は当然だが今もたくさん
おいでなので、異議もあるようだ。
 しかし、少なくとも中国文化圏では、

囲碁盤は、半天恒星図とフォームが完全一致
しなければならない

という論が、前漢から唐代まで鉄則だったの
であろう。でないと、囲碁のゲーマーの社会
的価値も低下したはずだからである。しかも、
こぐま座アルファー星は、9世紀から22世
紀までじりじりと、赤緯+85°を越えて、
天の北極に、近づき続けるという性質のもの
である。囲碁のゲーマーが星空を仰ぐたびに、
こぐま座アルファー星が、囲碁盤の端線から、
更に外側に動いてゆけば、
その辺の、アマチュア天文家が言う程度の事
でも、何百年も、そのような状況が続き、
繰り返して警告されると、遂には捨て置けな
くなってきたのは、当然なのではあるまいか。
 だから、囲碁盤の線数を17路から19路
に変えるには、唐等の王朝内の暦担当者等の

公的権力は当時、”そうするべきだと主張す
る一人”程度で充分だった

のではないかと、私は大いに疑う。以上のよ
うに、囲碁の路数を、2線増やす事に関し、
指導者が居たと、私も考えるのだが。その強
いた人間の性格に関して、私には異議が有る
のである。(2019/12/03)

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