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兵庫県玉津田中遺跡桂馬駒成り金は2度塗り(長さん)

以下、兵庫県神戸市の鎌倉時代ないし南北朝
時代成立と、天童の将棋駒と全国遺跡出土駒
にその旨紹介された、玉津田中遺跡桂馬駒は、
成り金が、線引きのような仕方で下書きされ
た上に、幾何学的に金を書こうとしており、

字を崩す意図が全くない事を証明している

という事実について説明する。
 天童の将棋駒と全国遺跡出土駒に記載され
た写真の元写真が、web上に公開されいて、

より鮮明であり、成り金部分が下書きの上に
なぞって書体を完成させようとしている

事が良く判る。
 さて天童の将棋駒と全国遺跡出土駒の写真
の、モノクロの元写真が有るのは、以下の表
題の発掘報告書である。
兵庫県文化財調査報告 第135-4冊
神戸市西区玉津田中遺跡第4分冊、
1999.3、兵庫県教育委員会。
 発掘報告書は、いつものようにpdfで、
奈良文化財研究所発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に掲載されている。
63344_3_玉津田中遺跡-第4分冊-辻ヶ内・居住地区の調査.pdf
 上記のpdfファイルの、図版206、
辻ケ内地区中世の遺物(42)木器(7)
の左上に、オモテと裏面の写真が並んでいる。
遺物番号が第5038番とナンバリングされ
ている。出土したのは西暦1991年年初前
後の事のようである。池跡の中に浸っており、
池の存在時期が問題になるが、中世だという
だけてあり、はっきりしていない。遺物の形
から、通説で鎌倉時代~南北朝時代であろう
と考えられているようである。
 鎌倉時代で平安小将棋持ち駒有り型用だと
すれば、麒麟抄の極崩し金が普及する直前だ
と推定される。下図は、報告書のweb上の
モノクロ写真を、マイクロソフトオフィスの、
ピクチャーマネージャーを使いコントラスト
を付けている。発掘者がスケッチするとき検
知出来なかった、金の字の最後の画が、見事
に浮き出した。

玉津田中桂馬.gif

 上図から裏面の金は、あたかもモノサシを
使って直線だけで細字で下書きを書いてから、
上からナゾッて、金の字を完成させようとし
ていると、推定出来る。たとえば下書き感覚
な為、縦棒が一番上の水平線より、少しだけ
だが突き出ている。ところが実際には、そう
しようとして、トラブルが発生したようだ。
 すなわち金の字の第6画目と第7画目の、
V部を書くと、圭字の下から2番目の下書き
横線が残って、浮き出て見えてしまうのに、
駒師が気がついたようだ。その為に、

失敗作として、廃棄したと推定できる遺物

である事がだいたいは想像できるようである。
 上記の事からただちに、この駒の駒師は、
成り金を崩し字で書く意思が、さいしょから

全く無い

事は明らかだろう。下書きで、幾何学的線だ
けで、金の字を書いて、その上からなぞって
いるからである。つまり、この駒は、
仮に麒麟抄普及以前の平安小将棋用の駒だと
すれば、その時代には麒麟抄とは真反対に、

”金は崩して書くな”という何らかのガイド
書が、鎌倉時代中期頃には存在した事を示唆

していると言う事になると、言う訳である。
 発掘報告書の写真のネガが仮に残っている
とすれば、駒が空気に触れて劣化しても、成
り金の書体が、しっかりと記録されているは
ずである。玉津田中遺跡将棋駒の

ネガフィルムは、残っているとすれば、とん
でもなく貴重なデータ

という事になるだろう。(2021/04/03)

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