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茨城県つくばみらい市鎌田遺跡の奈良平安国土器(長さん)


本ブログでは今の所字体の”国”は鎌倉時代
中期と成立と見ていた。しかるにweb上で
公開されている遺跡の発掘報告書に、奈良・
平安時代成立の”国”と書かれたようにいっ
けん見える土器の写真を、最近発見したので、
以下、そのチェック経過について述べる。

ロクロ回転模様が重なっていて”王囲み口”
の書体の国が書いてあるのに、書体”国”に
錯覚してしまうように、なっているだけだ

と疑われる。
 繰り返すと発掘報告書に問題の出土遺物
(土器)の写真があり、発掘報告書はpdf
ファイルで、web上で見る事が出来る。
奈良文化財研究所発掘報告書データベース
全国遺跡報告総覧に登録されている。
 pdfファイル名は、以下の通りである。
18941_2_鎌田遺跡.pdf
発掘報告書の名称は、以下の通りである。
茨城県教育財団文化財調査報告第176集
主要地方道取手つくば線及び一般県道高岡藤
代線緊急地方道整備事業地内埋蔵文化財調査
報告書≪鎌田遺跡≫、2001年3月、
茨城県土浦土木事務所・
財団法人茨城県教育財団。
遺跡の位置は、筑波郡伊奈町が現在は、
つくばみらい市になっているが、発掘報告書
の当時には、次の通りだったと言う事である。
茨城県筑波郡伊奈町太字南太田。
 発掘は西暦1999年前後に行われたよう。
前記pdfのPL.63:第30・33~35・
37・38・40・43・46~49・51号
住居跡出土造物の、左下から2段目に問題の
遺物の写真が有る。遺物は第SI48-297
とナンバリングされている。

鎌田遺跡国.gif

遺物の成立時期は、第1pdfの、
18941_1_鎌田遺跡.pdf
に、漠然とであるが奈良時代ないし平安時代
と記載され、鎌倉時代中期より早く、将棋の
伝来の通説、本ブログの院政期以降説よりも、
更に早い懸念がある。
 遺物の国の王の点の存在の可否が、当然問
題である。が、良く見れば判るが、

ロクロの渦巻き跡が重なっており、点は無い

のが本当だと判る。従って本ブログでは書体

”国”の成立は、鎌倉時代中期なのでは
ないかと、依然疑う

事にしたい。
 今回は以上だが、夜象等、興味深い墨書遺
物を出土させ、本鎌田遺跡から、さほどは離
れていない茨城県つくば市の島名熊の山遺跡
からも2002年前後頃に王囲み口墨書土器
が出土したらしい。
 こちらもweb上に公開され、全国遺跡報
告総覧に登録されているのもいっしょ。ただ
し、本ブログで以前紹介した報告書とは、
コンテンツが、たまたまであるが別である。
12139_2_島名熊の山遺跡.pdf
PL.48:第1547・1556・1562・
1564・1567・1575号住居跡出土遺物
の左下隅に、遺物番号SI1556-304
とナンバリングされて、写真が有る。

島名熊の山国.gif

口の右側が二重になっているように見えて、
多少怪しいが、外の線に見える影は、偶然出
来た自然模様であろう。
 以前引用したが島名熊の山遺跡も平安時代
の遺跡なので、今回最初に指摘した遺物土器
と、だいたい成立はいっしょ。だから、この
2個の別々の場所出土の遺物土器は、類と疑っ
て良いのであろう。
 以上のように、書体”国”が鎌倉時代以前
から有ったという証拠として、鎌田遺跡の遺
物は、かなり不十分だと言うのが、本ブログ
の見解という事になる。(2021/04/13)

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