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大阪府私部城跡から香車・角行画入り瓦(長さん)

出土したのは、一品が前世紀のように認識する
が。2015年の大阪府交野市教育委員会編の
遺跡発掘報告書”私部城跡”に、香車の文字と
不定形の囲みの入った瓦、及び行の字と五角形
駒の黒い影のようなものがある瓦の、以上2品
の遺物写真があるのに、本ブログの管理人は最
近気がついた。

将棋駒の影は今の五角形駒型であり、人為的作
品であるとすると、戦国時代の大阪の将棋駒は、
意匠が他よりモダンであったろう

と結論できる。
 発掘報告書はweb上にpdfファイルとし
て公開されており、いつも通り
奈良文化財研究所発掘報告書データベースの、
全国遺跡報告総覧に登録されている。
 pdfファイル名は、以下の通りである。
17362_4_私部城跡発掘調査報告.pdf
発掘報告書名は、以下の通りである。
交野市埋蔵文化財調査報告2014-1
私部城跡発掘調査報告、2015.3、
交野市教育委員会。
 私部城自体は戦国時代の城で、遺物は16世
紀半ば、一乗谷朝倉氏遺跡駒と、ほぼ同じ頃と
みられているようである。
 さて図版に瓦の写真が何枚かあり香車の文字
の入った瓦は、写真図版45の一番上の凹み側
(右)に、遺物番号第12番として掲載されて
いる2コマの写真の右側である。

私部城香車.gif

字はかなり薄い上に、香と車の大きさが少し、
チグハグかつ、位置がズレている。全体として、
台形のような枠で、囲われているように見える。
 本ブログでは、このパターンの場合、今まで、
車が本物で、他は自然模様と見てきた。むろん、
戦国時代に日本将棋は成立しており、将棋駒の
絵が描かれたとしても問題は無い。だから大阪
交野市の私部城でも、日本将棋等は指されて当
然だから、出土して当然の遺物とは言える。
 そこで、同じ発掘報告書の別の瓦を探すと、
発掘報告書が書かれる少し前に出土とされる、
写真図版54の、上から2段目右の、大きな瓦
の破片と見られるものに、五角形のカゲに、行
の字が、わずかに見える遺物を私は見出した。

私部城角行.gif

個人的見解だが、この角行駒のカゲは、今の将
棋駒とほぼ同じだと思う。一乗谷朝倉氏遺跡の
将棋駒に比べてモダンだ。江戸時代から現代へ
と繋がる将棋棋士集団が、近傍に多数存在した
との心象を、私はこの遺物から特に強く受ける。
 以上の事から、戦国時代の別の城に複数例が
有る通り、大阪府の私部城でも、日本将棋が指
された疑いがかなり濃いと、このかなり前に出
土したと見られる前者、香車の字の入った屋根
瓦に関して私は結論する。角行駒を発掘する発
端となった、新たな発掘調査事業に関し、私は
深く敬意を表したい。(2021/04/14)

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