SSブログ

富山県下老子笹川遺跡でも弥生時代の龍馬土器(長さん)

以前香川県大内町原間遺跡で弥生時代の龍馬
土器玉が発掘され、龍の字をニセモノと判定
した話題を本ブログで紹介した。そのケース
は土玉であったが、普通の器の土器に置き換
えただけの、ほぼ同じケースを、今度は
富山県下老子笹川遺跡を紹介した発掘報告書
の写真で発見したので紹介する。香川県と、
富山県のケースは、ほぼ同一条件であり富山
の場合にも、

龍の字の立部分が不明解である。

発掘報告書は、前と同様web上に公開され
ていて、pdfファイルとして見る事が出来、
奈良文化財研究所発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に掲載されている。pdf
ファイル名は以下の通りである。
13404_5_下老子笹川遺跡発掘調査報告.pdf
 写真は、上のpdfファイルの図版54の
2段目右に、遺物番号第313番として載っ
ている。

下老子龍馬.gif

なお、発掘報告書の名称は、次の通りである。
富山県文化振興財団埋蔵文化財発掘調査報告
第31集下老子笹川遺跡発掘調査報告、
第二分冊弥生~古墳時代、2006年、
財団法人富山県文化振興財団・
埋蔵文化財調査事務所。
なお富山県下老子笹川遺跡は、富山県高岡市
の”笹川・千鳥丘町地内、旧西礪波郡福岡町
(現高岡市福岡町)下老子・一歩二歩地内に
またがって所在する”との事である。(第1
pdfファイル:
13404_1_下老子笹川遺跡発掘調査報告.pdf
による。)
さて上図から、龍の立の部分が”共”の上の
部分に置き換わったように見え不明確である。

このケースも、龍に見える部分は、自然に出
来た模様

と、本ブログでは今の所考える。龍の字が、
ニセモノか本物かの、見分け方のコツように
私は思う。
 pdfファイルの第3番目、
13404_3_下老子笹川遺跡発掘調査報告.pdf
の冒頭に、この遺物が弥生時代成立の地層・
場所から出土した旨が記載されている。
弥生時代に大将棋が有った事を、龍が偶然出
来た自然の模様と見るため、この土器は、示
していないと私は考える。
 なお、この富山県の遺跡例では、香川県の
大内町原間遺跡のケースと全く同様に、馬の
字は本物らしい。このケースにも、別の一字
馬の土器遺物が発掘されて、その写真も載っ
ている。前記の第5番目pdfで、図版71
の右上の遺物番号で第582とナンバリング
された、以下の図の土器である。

下老子馬.gif

この場合は一文字だが、今度は大きく馬の字
が書いてあると、私は見ている。
 さて、以上は富山県の下老子笹川遺跡の例
であったが、馬の字や兵の字が本物であると
いう土器例が、以前にニセモノ”王”駒を紹
介した、岐阜県の荒尾南遺跡でも発掘されて
いる事が、その後判った。発掘報告書がニセ
モノ王の例とは別物である。pdfファイル
名は、以下の通り。
12925_4_荒尾南遺跡C地区.pdf
発掘報告書名は、次の通り。
岐阜県文化財保護センター調査報告書第129
集荒尾南遺跡C地区、
2014年、岐阜県文化財保護センター。
遺物の写真は、このpdfファイルの、
図版89 出土遺物:土器(21)の
2段目右に、遺物番号795番として載って
いる。兵の字と馬の字が、並んでいるようだ。

荒尾南馬.gif

どちらも、古墳時代のはじめの頃までには、
日本でも成立していた文字なのであろう。
 ちなみにニセモノ王駒例のpdfファイル
と、発掘報告書名は再録すると以下の通りで
あった。
1365_3_荒尾南遺跡A地区Ⅰ.pdf
発掘報告書の名称は以下の通り。
荒尾南遺跡A地区Ⅰ(第3分冊)、
2012年、岐阜県文化財保護センター。
なお更に別の下記の別報告書にも、ニセモノ
王駒の書かれた、更に別の土器と見られるも
のが載っている。
1805_4_荒尾南遺跡B地区Ⅰ.pdf
荒尾南遺跡B地区Ⅰ、2012、
岐阜県文化財保護センター。
図版224出土遺物:土器(118)の2段
目左の”遺物番号第1796番”。

荒尾南王2.gif

 中央部に一部白抜けしているが、王の字が
曲がっているが、将棋枠に見えるもので、囲
まれている。枠が偶然出来た自然模様だろう。
 以上のように古墳時代に成立していたと前
に見た”王”を加えて、王・馬・兵の字を、
日本人は、何らかの理由で、王は古墳時代、
馬と兵はそれ以前と言うように、比較的早く
覚えたと考えて良いように、私は思う。
(2021/04/07)

nice!(2)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー