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奈良県興福寺出土駒1058年物8金位置間違い(長さん)

今回は、西暦1992年前後に出土し遊戯史界
では著名な、奈良県興福寺の出土将棋駒の、
スケッチの間違いの疑いについて話題にする。

釈文の一部に問題がある

というカテゴリーの話でありスケッチのときに、

駒の字の位置を、裏オモテレベルで間違えた。

ので、面逆で文字の有無が、紹介されている
疑いが、有るようだとの内容である。
 情報元は、web上に公開されている画像で
確認できるかどうか、目下不明であり、成書の
天童の将棋駒と全国遺跡出土駒、2003年、
山形県天童市将棋資料館編でのみ、画像を確認
できる。興福寺出土駒を記載した、同書94ペー
ジに画像があり、金将駒とされるもので、左上
に書かれ、遺物番号第8番とナンバリングされ
ている。なお”持駒使用の謎”の図の遺物番号
と、天童市将棋資料館本の興福寺出土駒の番号
は同じなようである。ただし、駒字の金の位置
が、画像とスケッチでズレているという事なの
だが、金将駒にはまず違いはない。ので、

一般的な将棋史の議論に、ほとんど影響しない。

画像は、以下のような内容である。

1058興福寺8.gif

 スケッチでは、左側のブルーの枠内に、割れ
た破片であるにも関わらず、欠けずにほぼ、ま
るまる”金”と書いてあるかのように、示され
ている。だが、

いくら目を凝らしても、少なくとも私には、そ
の面に何か、字が書いてあるようには見えない。

 ところが、上図の右の紫色の丸と、黄色の四
角の中には、金という字が、それぞれ有るよう
にも見え、

黄色の四角の中の大きい方が、本物の墨書

のようである。なお、紫丸の中の模様の方が、
ぱっと見に、気が付き易い。が今の所こちらは、
ヨゴレによるニセモノだろうと、私は判断する。
 普通の木簡と異なり、書体が見た事も無い物
であるわけではなく、

カスレて、字が薄い事が多いという点が、
将棋駒の駒字の特定の、独特の難しさ

だ。その為多彩な木簡の解読に、むしろ慣れた
専門家はかえって、

いつもと勝手が違うので、興福寺駒の解読には
さぞ疲れた

だろうと、私は思慮する。その疲れの為か。

しっかり見えていたにも関わらず、書くときうっ
かり裏オモテで、違う所に字を書いてしまった。

今回のケースについてはたまたま、以上のよう
なエラー経過が疑われると、私は画像の様子を
見る限りは、想定しているという事である。
(2021/04/19)

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