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九州福岡で奈良時代、國の中縦曲線は略さない(長さん)

以前国の旧字体の國の中国の草書体を紹介
した際、真ん中の上から右下に引く縦曲線
を略す例が無い事を指摘した。これは、國
から俗字の国が出来にくい事を示している
と考えられる。しかし、それは中国流であ
り、日本では奈良時代程度になると、違う
のではないかとも疑われた。しかるに、
九州福岡の福岡空港建設現場遺跡一箇所で
はあるが、漢字のこの形の字類では、日本
でも、真ん中の上から右下に引く縦曲線を
略す例が見あたらない事が判ったので、今
回は、その事について報告する。
 遺跡名は、九州福岡県の福岡空港の周辺
に有る、下月隅C遺跡であり、遺跡の今回
発掘現場付近の成立時代は、奈良時代前後
とみられているようだ。同一の発掘報告書
の出土遺物の写真3枚に関してだけ、以下
議論する。
 発掘報告書名は、次の通り。
下月隈C遺跡Ⅵ/福岡市埋蔵文化財調査報告書第881集、
2006、福岡市教育委員会。
 web上にpdfファイルで公開され、
奈良文化財研究所発掘報告書データベース
全国遺跡報告総覧にそれは登録されている。
pdfファイル名は、以下の通りである。
20287_4_下月隈C遺跡6.pdf
 最初に紹介する出土遺物は土器に書かれ
た字であり、”或”ないし”戓”のように、
私には見えた物である。

下月隅或.gif

前記pdfのPL.80の右上隅に遺物番
号第28番として掲載されている。なお該
報告書には成であるとの旨記載されている。
 上図のように、”戓”であるにしても、
あるいはまた”成”であるにしても、右上
の点は省略されているが、中央縦曲線と、
右のノは略されていない。この字は國から、
口部分を取ったケースなので、何を省略し
て行くかに関して國に近いと考えられる。
 次の遺物は木簡で、私には”成”のよう
に見えた字である。

下月隅木簡.gif

前記pdfでなくて、トップpdf、
20287_1_下月隈C遺跡6.pdf
の、巻頭カラー図版、
図版1:第Ⅱ面出土の「皇后官職」木簡と斎串
の赤外線写真に出ている。
なお報告書では”成”ではなく”戌”と読
んで意味が通るとの旨が、記載されている
と私は承知する。
 上図のように”戌”であるにしても”成”
にしても、

中央縦曲線は略さない上で右上の点は除き、

更にノを右点に替えていると、明らかに取
れる。
 第3番目の例は、元の第4番目のpdf
20287_4_下月隈C遺跡6.pdf
の、PL.78:SD735出土墨書土器
(須恵器)の2段目左に、遺物番号第4番
とナンバリングされた土器に書かれた、”
戌”と読める字である。

下月隅戌.gif

発掘報告書でも、戌と解釈されている。こ
のケースも、

中央縦曲線は略さない上で右上の点とノの
画を書く代わりに、右横少し上に点を一つ
加えている

と解釈できる。
 このようにノの字の画と右上点は、
或、戓、戌、成の各字で、略される事があ
るが、

日本の福岡県福岡空港付近では、中央から
右下に伸ばす縦曲線を、奈良時代頃略す習
慣が見当たらない。

よって、類似の字である國は、同じく、
中央から右下に伸ばす縦曲線を、奈良時代
頃略す習慣が無いと見なされる。だからそ
の字だけから、奈良・平安期頃に、

”国”という書体または字体が國から直接
出来るとは、やはり考えにくい。

 以上のように、私には思えたのである。
(2021/04/12)

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