SSブログ

奈良県平城京左京三条三坊桂馬は銀将か(長さん)

以下、天童の将棋駒と全国遺跡出土駒に掲載
の奈良県平城京の出土駒の釈文が、元々劣化
した墨書の、視覚認知能力の限界によって、

何とも判定不能な”どっちつかず模様”が、
一方の極限である「桂馬」に、たまたま
決め付けられた

とする疑いについて、成書:天童の将棋駒と
全国遺跡出土駒又は”天童将棋資料館本”に
記載された写真に基づいて、以下に説明する。
 問題の遺物は、前記成書の96ページに、
遺跡番号第92番、平城京左京三条(247
次)遺跡として紹介された、桂馬とみられる
字の書いたスケッチと共に、写真が掲載され
たものである。

平城京333桂馬.gif

1993年発行の、奈良平城京の発掘報告書、
平城京左京三条三坊三坪の調査(第247次)
を、奈良市教育委員会が発行しており、その
情報等に、天童の将棋駒と全国遺跡出土駒本
は、基づくものとみられる。
 発掘年は従って、西暦1990年頃であろ
うと推定され、遺物の成立年代は、室町時代
から戦国時代の間のようである。平安小将棋
に飛車と角行が入り、現行の日本将棋となる
時代に掛かる事になり、情報として重要な遺
物である。更に”木簡研究”の第15号(
1993年11月)に”聞香札が共出土し、
他、多数の柿経が発見された”との旨の情報
がある。
 聞香札の共存は、個人的には将棋人気が少
し後退した室町時代中期頃の、石名田木舟駒
を連想させる。
 そこで、上図を見ると、発掘報告者ないし、
木簡学会のものと見られる不成り”桂馬”と
する釈文は、

将の字の小さい不揃い銀将との間で、2点間
交互振動するように見える≪幻想的模様≫を、
取りあえず”桂馬”と、仮に決め付けただけ

だと私には解釈される。なお、第2字目を将
と考えるケースには、字の右上部分は、擦れ
て消えていると、解釈する必要がある。
 さて木簡学会でも結果として、それで”桂
馬解釈”が認められてしまったようなのは、

将棋駒の字は、限られているのでチェックは、
他の一般木簡に比べて緩くてよいとの油断

が有ったように私的に懸念される。特にこの
ケースは、

運悪く、銀将と桂馬が、たまたま見方によっ
て拮抗するという、特異な例だった

ようだ。
 無論言うまでも無く、平安小将棋には銀将
も桂馬も有る。だから、たまたま運良く、

間違えても、将棋史への影響はほぼゼロ

だった。しかし、こんな不運な例も、稀では
あるが、将棋駒の同定にも有るようだ。その
為今後は、この例を思い出し、曖昧な墨書の
別解釈が、たまたま別種の将棋駒名にならな
いかどうかには、字の擦れた駒については充
分注意する必要があろう。そして、そういう
ケースには、

当然、他の分野の木簡の読みに習い”口口”
と表記して注意喚起しないと危ない。

以上の結論に、このケースはたまたまなると
見て良いという事なのであろう。(2021/04/18)

nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー