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愛知県安城市惣作遺跡から弥生時代國俗字土器(長さん)


以下、愛知県安城市木戸町惣作にある、
惣作遺跡から、弥生時代成立と見られる国
の字が書かれていると疑われる土器が、
西暦2008前後に出土したという話題で
ある。

王を口で囲んだ国の漢代俗字は弥生時代に
は日本に伝来済み。ただ大和王権が成立し
ない為に、王を中心とした統一国家がイメー
ジ出来ない状況で、國の略字化が試みられ
た形跡がある。

 さて遺物の写真がweb上で公開されて
おりpdfファイルの中に収められている。
 pdfファイルは、以下の名称であり、
奈良文化財研究所発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録されている。
1898_1_惣作遺跡2.pdf
これは、惣作遺跡の発掘調査報告書であり、
文献名称は、以下の通りである。
愛知県埋蔵文化財センター調査報告書第172集
惣作遺跡Ⅱ、2012年、公益財団法人
愛知県教育&スポーツ振興財団・
愛知県埋蔵文化財センター。
写真は、写真図版10の左下に有り、遺物
は第81番とナンバリングされている。

惣作遺跡国.gif

上図のように王が口の中に囲まれた俗字に、
更に、國の上部から右下にかけての画線が
一画加わったような字が、書かれているよ
うにも見える。
 なお、この遺物の成立年代については、
前記発掘報告書の44ページの左上の方で、
弥生時代との旨が記されている。模様が、
墨書等であるとの旨の指摘は該発掘報告書
には、見い出せない。
 墨書だとすると、岩波新書991、日本
の漢字、笹原宏之著で漢代成立と言われる、
王を口で囲った俗字は、弥生時代に日本に
有った事になる。そして色葉字類抄2巻物、
前田藩、八木書店2000年の異字リスト
と合わない。そこで色葉字類抄・前田本・
八木書店発行本では、

教育漢字国と、王入り口を、わざと成立し
ているのに書かなかったと疑って見た方が
良い

と考えられるようになる。国が色葉字類抄
の成立より後なのがバレるのを、加筆者が、
極度に恐れたからであろう。残念ながら、
以前本ブログで表明した、王入り口俗字が、

鎌倉時代伝来との本ブログの予想も外れた

ようだ。
 そこで、遺物の字を見ると、王は口に対
してやや曲がっている。ただし、四角い将
棋盤に、王を入れようとした意図で書いた
のではなくて、

この場合は、一種の俗字を書こうとしてい
るだけというケースなので、本物ニセモノ
(自然模様)の判定は、そうした観点だけ
では困難

だ。王と口のバランスから、王が口に対し
て、多少小さめで、上手な字に見えないの
で、単なる

自然の悪戯の可能性も、否定できないと言
える程度

であろう。兵が成立していたとみられる時
点で國の字の類位は中国から伝来していて、
おかしくはないかもしれない。だから、

遺物として出土しているのが現実であるの
で、國も王囲み口も弥生時代に既に、日本
に有っても、原理上はおかしくは無い

と、今後は本ブログでは見なす事にしたい。
 ただし、中国から伝来したのは、國と、
王囲み口であり、

中を取ったような、本遺物の字までが有っ
たのかどうかは謎

と見る。正式には國であるのを、和人は教
わったであろう。ではなぜ國と書かなかっ
たかだが。

判りにくい字だったので、今といっしょで
略そうとしたのではないか

と、私は考える。だが、では何故漢代から
中国にあり、同時期に伝来したと期待でき
る”王囲み口”を、使わなかったかだが。
ひょっとすると、

日本は小国分立の時代だったので、列島の
中心に王が居ると書いて、国とは認識し、
難かった

からなのではなかろうか。
 そこで、王囲み口に、中国人が草書でも
保持させる國の上部から右下へ延びる一画
を加えて、以下のような字を、作成して、
該土器に書く事が、行われたのではないか。

弥生時代国.gif

 そうしてみると、何らかの理由で口の中
に王と書いて国と読ませたくない、または、
読めない社会の場合、

国ではなくて、上記の書体が出来るのが、
むしろ自然

とは言えないか。
 だから現在我々が普段、教育されて使っ
ている”国”という書体はやはり何か、玉
を四角に入れなければならない、

特別な事情下で出来た、特殊な俗字の疑い
が有る。

以上のように、この遺物を見て、私は今回
強く感じるようになったのである。
(2021/04/10)

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