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自陣四段型藤原頼長/源師仲の大将棋のチェック(長さん)

西暦1142年時点で、西暦1110年程度
の当初に自陣3段配列で出発した平安大将棋
は、飛龍の消耗を避けるために、桂馬の頂で
一歩配置を前進させ互いの直射を避け、猛虎
を上げれば受ける事の出来る、自陣4段配列
に変わっていたと推定される。そこでこの考
えに基づき、台記、宣明暦9月12日の、
藤原頼長/源師仲の大将棋の将棋を再度検討
してみた。結論として、

観戦者には駒の動きが大きく、より尤もらし
く見えるようになったが、自陣三段配列のケー
スに比べて、飛龍の守りにより、勝負は着き
難くなった

と結論される。
 では、以下に説明を続ける。

実際の棋譜の再現は無理だが、藤原頼長負け
で、勝負が着くように、頼長が手加減した

と仮定して同様な傾向の将棋を指す。前に述
べたが、それは、

源師仲(仮に後手)が、中央押し戦法、
藤原頼長が、”見かけは尤もらしく、”
端攻め戦法をとり、後者が空振りになれば
可能

である。
このゲームでは、初期配列で、横行と猛虎と
奔車が2段目、飛龍が3段目、歩兵が4段目
に一列13枚づつ、注人が5段目中央で出発
する。以前述べたが、
 少なくとも飛龍と横行は不成りであり、
恐らく猛虎や奔車不成りであったとみられる。
その他、注人も含めて金成の駒は、相手陣
4段目越えの1発成りとし、成らないと、
相手陣奥で、行き止まりになるとした。金自
体と玉は成らない。
 駒の動かし方のルールは、飛龍について、

本ブログの論は通説と違い、角行の動きだが
隣接升目で止まれない(跳び越えもできない)

とする。その他鉄将は、二中歴のミスであり、
ここでは、横にはゆけ無いとしてみた。その
他は、通説のほぼ通りであり、桂馬は前の字
を、”前に一歩行く”と解釈して、通常の
桂馬跳びに、一応ここではしてみた。
言うまでも無く、取り捨てで、持駒は無い。
 実際にやってみると、飛龍は終盤まで残る
ようである。
 真面目に指せば、飛龍での守りの効果も大
きい。このケースも自陣3段型同様、先手
藤原頼長の攻めは、平安小将棋のケースとは
異なり平安大将棋では、ほぼ有効でなくなり、

先手は、かっこだけの攻めのため、後手が
ゆっくりと繰り出してきた駒に、押しつぶ
される展開になる。

途中の駒捌きは、自陣三段型に比べて、飛龍
の活躍が大きく、観戦者にとっては、はるか
に面白く感じられただろう。
 しかし展開は一方的で、終盤は、後手の
源師仲の玉に詰みは無くなったと見られる。
 終盤は、玉も攻めに加えながら、先手の
藤原頼長陣に、数枚の後手駒が、なだれ込む
だけだったとみられる。
 しかしながら、真面目に指せば、頼長陣に、
守り駒の飛龍、横行が残り、なかなか詰まな
い。

頼長は、わざと自分の玉を、上段に逃がすよ
うな手を指さず、手を緩めて、相手に玉を
捕まえさせて投了したとしか、考えられない
ようだ。

 このゲームはそもそも、藤原頼長が、平安
大将棋を、崇徳天皇等にアピールするのが
狙いだったとみられる。ので、前に述べたが、

万が一にも、千日手になったり、局面が硬直
して終わらないように、藤原頼長が注意

したのであろう。しかも、最後は普通の寄せ
なので、この形の将棋は、傍から、一応尤も
らしく見えたように、私には思える。
 自陣3段大将棋では絶対無いと言うのは、
すこぶる困難だが。

自陣4段配列にすると、実際にはそうではな
いのだが。最初から自分が、負けるつもりで
指すなら、平安小将棋に劣らない平安大将棋
が、あたかも指せているかのように、いっけ
んすると、見えるようにできる。

以上のような事に、なるようである。
(2019/10/12)

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