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和将棋の玉駒”靏玉”の鶴異字体”靏”は西鶴文字(長さん)

以下、井原西鶴が”新可笑記”の中で、”大大将棋
というゲームの盤駒を自作して、小さいお堂のよう
な場所で熱心に遊んでいた”との旨記載した、

”大坂の京絹の商人の息子”が和将棋の作者と関連

する疑いがある事について述べる。
 表題にも書いた、和将棋の玉駒である靏玉の靏だ
が、この鶴の異字体は、井原西鶴が、自分の名前の
表現に好んで用いたものらしい。以下の成書の最初
の話題、1.[鶴]の最初の方、16ページ中段付近
に、その旨が記載されている。
漢字百珍、杉本つとむ著、八坂書房、2001年

 そもそもローカルなお堂で、たまたま遊んでいる
若者について西鶴が書くところを見ると、西鶴と若
者との間には人間的に、繋がりがあるのではないか
と疑われても、しかたがないのではないか。何故な
ら、たとえばその若者か大坂の京絹の商人が、西鶴
にとっては自分を尊敬している人物だし、それを西鶴
が知っていたとしたらどうか。その状況で、
大大将棋等の啓蒙の話を、中将棋を指す西鶴がもし
聞いたとするのならば、第三者には、取り立てて関
連性も無い個人的な趣味についても、公表して持ち
上げるという事なのでは、ないのだろうか。井原の
遺稿は、以上の経緯によって、”大坂の京絹の商人
の息子”の趣味”大大将棋”等が、記録として残さ
れたという性質の噂話なのではなかろうか。
 つまり、玉駒の鶴玉の鶴を、西鶴が彼を示す表現
としてよく使う、”靏”の字を敢えて当てていると
いう事は、少なくとも

和将棋の作者が、”大坂の京絹の商人の息子”と、
文学の世界、駒数多数将棋の両方に於いて、趣味が
相当に近い人物同士である

疑いがある事を、意味していると私は思う。つまり、
井原西鶴を尊敬しているという点で共通の、
駒数多数将棋愛好家同士なのではあるまいか。
 従来和将棋の作者については、事実上全くの謎だっ
たと私は認識している。だから、この杉本氏からの
情報は、その正体を割り出す事が可能になるという
点で、

一筋の光を射し込ませたもの

のように、私には感じられる。
 なお本ブログではこの”大坂の京絹の商人の息子”
は、大阪の将棋家の田中賢一氏が所持して居られる、
寛文12年(西暦1672年)成立の、
『摩訶大将棊の図』の作者と疑われる、亮隆基と表
現されている人物とも、少なくとも知人同士か、そ
れより近い関係があると見ている。
 何れにしても以上のことから、同人の動向に仮に
前記”大坂の京絹の商人の息子”が詳しいとしたら、
彼には”和将棋の作者の正体”が判っていた疑いは、
かなり高いように、私には疑われる。(2020/12/04)

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