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奈良文化財研究所データベースの十三湊遺跡(長さん)

以前、新人物往来社の中世十三港に記載の

昔の遺跡発掘報告書に木製品出土の記録が
無い

旨を述べた。そこで、南北朝時代から現代
までの間に十三湊遺跡では、埋蔵された
将棋駒は腐ってしまい、出土しないからだ
ろうと思考した。しかるにweb上にも、
十三湊の比較的新しい時代の発掘報告書が
あり、そちらの方にも木製品が無いのかど
うかについて、今回はチェックしてみた。
結果、

十三湊については第77次発掘の近世の
皿1枚と御椀3個、近傍の市浦村第1~2
次発掘で、杓子と2本程度の箸が出ただけ

との結果になった。もうすこし、詳しく
紹介する。
 青森県(現)五所川原市の十三湊遺跡に
ついて、奈良文化財研究所発掘報告書デー
タベースの”全国遺跡報告総覧”のpdf
は、だいたい10回分が報告されている。
ちなみに、発掘自体は少なくとも百数十回
以上は、行われているようである。
 10回分の発掘で、木製品が出たとされ
ているのは、77次、90次、120次の

僅かに3回だけ

である。そのうち90次と120次の木製
品遺物については、スケッチおよび写真が
確認できない。
 十三湊遺跡では、遺物自体が膨大な量出
土しており、報告書をチェックするのが、
かなり煩雑なため、90次と120次は

本ブロクの管理人が見落としている

可能性が高い。
 かろうじて、第77次の木製品の写真を
発見したが、近世から近代にかけての漆器
皿が一枚と御椀が3個が、報告された木器
の全てのようだった。
 このweb上のpdfファイルの名称は、
32760_2_十三湊遺跡.pdfで、後ろの方の、
図版59に載っている。
 また、市浦村遺跡という場所は、十三湊
からみて南に少し離れた所にあるようだ。
この遺跡は十三湊の典型的地区では無いが、
中世には湊とほぼ繋がっていたように、私
には見える。さほど離れてないからだ。
 その市浦村遺跡の方の井戸跡の一つから、
こちらは南北朝時代のもののようだが、
箸が2本と、杓子が1本出土している。
web上のpdfファイルの名称は、
32759_2_十三湊遺跡.pdfで、図版の14と
15に杓子と箸が、少し離れて載っている。

通常将棋駒が発見される遺跡は、木製品の
全体量が、これとは桁違いに多い場合

が通常である。
 従って十三湊遺跡では、木製品が全く出
ない訳ではないが、

極めて少ない方の部類の遺跡

である事は、web上の遺跡発掘報告書を
足してみても、ほぼ間違いないように、私
には思えるようになって来た。(2020/12/10)

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