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富山県舟橋村で”王子”土器出土(長さん)

以前に”雲を掴むような話”と本ブログで
表現した、富山県中新川郡舟橋村舟橋出土の、
成立時代未知の王将墨書遺物に関連して、
その南西1キロ程度の地点から、王子の墨書
土器が、別途出土しているとの情報を知った。
場所は富山県中新川郡舟橋村仏生寺で、成立
は、室町時代後期から、戦国時代にかけての、
15世紀から16世紀との事である。発掘さ
れた遺物は、前世紀の末発見されたらしい。
奈良文化財研究所の発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に、今述べた発掘報告書は
登録・掲載されていて、web上で見る事が
出来る。pdfファイル名は、以下の通りで
ある。

6061_1_富山県舟橋村仏生寺城跡発掘調査報告

また発掘報告書の表題は、”富山県舟橋村
仏生寺城跡発掘調査報告”舟橋村教育委員会、
西暦2001年である。遺物は該発掘報告書
の後ろの方の図版18、”出土遺物(5)
中世2”の中段右にある。

富山県舟橋村王子.gif

報告書には、スケッチがあり、”墨跡印”が
付記されているようだが、コメントは特に見
当たらないように思われる。以下、あくまで
ここでの見解だが、前記の図の遺物の字は、

王子や八王子を信仰する習慣と関連

するのではないかと疑われる。場所が1キロ
以下と互いに近いので、以前指摘した瓦の破
片のような遺物に残る、墨の跡のような王将
の字と疑われたものも、将の方が誤読であっ
て、王子等と書いたのかも知れず、そのケー
スは、将棋を意図したのではなくて、中世の
信仰に絡んだものだったのかもしれない。
 なお仏生寺城の方は、15世紀~16世紀
の頃のものと、発掘報告書に明記されている
ように読め、”単純に限定できない”と、取
れる旨の書かれた浦田遺跡の発掘の後3年位
の間に、だいぶん現地では遺跡群の成立年代
に関する議論が、進んだような印象である。
 また、前記発掘報告書には、他にもう一枚、
”王口”と読める皿のように土器が、同じ
図版18、出土遺物(5)中世2の右下にも
有るように私には思われる。
 そもそもこれらの遺物の出土場所自体が、
神仏習合時代の寺であるし、成立時代からは、
摩訶大大将棋関連の曼殊院将棋図成立時代と
合うので、今回の件に関しても、

王子は酔象の成り駒名と言いたいところだが、
将棋と言うよりは、信仰に関連した遺物

の疑いの方が濃いと思われる。よって舟橋村

浦田遺跡の遺物も、王子信仰に関連したもの

とみられるとの見解を、今の所本ブログでは
取る事に致したい。(2020/12/30)

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