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富山県弓庄城跡銀将裏の一文字金は”圭金”(長さん)

さいきん表題の富山県上市町弓庄城跡で西暦
1983年頃発掘された裏がたぶん、一文字
金銀将駒の、発掘当時の報告書を、
奈良文化財研究所発掘報告書データベースの
”全国遺跡報告総覧”の中に発見した。そこ
で念のため、問題の遺物の写真をチェックし
たところ、

裏面の写真が天童の将棋駒と全国遺跡出土駒
の写真と少し、墨跡模様が違う

のに気がついた。以上の報告を今回はする。
 ここで話題にする新たに私が見かけた
発掘報告書は、web上、今述べたデータベー
スサイトに公開されており、ファイル名は以
下の通りである。

13689_2_富山県上市町弓庄城跡第4次緊急発掘調査概要

なお13689シリーズの_1には、銀将駒
のスケッチもあり、こっちの方は、
天童の将棋駒と全国遺跡出土駒と同じである。
 写真は以下の通りであり、右側の裏面が問
題である。

1984報告書弓庄銀将.gif

なお、天童の将棋駒と全国遺跡出土駒の写真
も以下に紹介する。

天童の将棋駒弓庄銀将.gif

 裏面を比べてみると判ると思うが、
天童の将棋駒と全国遺跡出土駒の方は、
北+_なのに対し、1984発掘報告書の方
は、化+_のように私には見える。最後のア
ンダーバーは、金の一番最後の画だと推定さ
れる。
 原因は、

裏面が湾曲していて撮影方向が僅かに違うと、
淡い墨跡のコントラストが、たぶん部分的に
写らなくなる為

であろうと、私は推定する。従って、
天童の将棋駒と全国遺跡出土駒の写真は、
1984年の前記発掘報告書の写真ではなく
て、1994年のまとめ版調査報告書の為に、
取り直したというような経緯の、別の写真な
のであろう。
 では実態はと言うと、

墨は広がっていて、2枚を足し合わせた像が
正しい

のではないかと推定している。つまり”北”
の偏の左下端と、”化”のツクリの右下端は、
実は繋がっていて、

巾の広い比較的大きな字で、圭型の入った、
いわゆる銀将のくずし金の字が、裏面に書い
てある

疑いが、濃いのではないかという事である。
以上の点は、駒の動かし方のルール点が、
ほぼ残っているのに、それぞれの写真で、
別々に部分的に撮影されたり、されなかった
りしているという点から判る。
 本ブログでは過去かなりの数の出土将棋駒
の墨書模様を写真を見ただけて議論してきた。
しかし何回かトラブルがあったり、コメント
した事も有ったが、実物を直接目視するので
はなくて、写真から推定するやり方には、実
物に生に接していないという点で、やはり、
リスクは残っているようだ。
 なおこの遺物は、室町晩期のものなので、
石名田木舟遺跡の銀将に、比較的外見が似て
いる。
 ただし裏金の崩し書体が、たまたまであろ
うが、少し違うのではないかと、以上の結果
から疑われるという点に、注視すべきだろう。
以上のように、私は考えるようになって来た。
(2020/12/05)

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