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尾道遺跡の将棋駒出土条件草戸千軒遺跡と同じ(長さん)

以前、よみがえる中世シリーズの8番目、
”広島県福山市の草戸千軒遺跡・鞆の浦・
尾道”内容を紹介した。そこでは、
草戸千軒遺跡の遺物の成立年代は、

室町時代

となっていた。ただし上の成書には、前世
紀の遺跡発掘記録が書かれていて、鞆の浦
と尾道遺跡についても記載されている。
 今回は、尾道遺跡の当時の発掘で、
室町時代の木製品は腐らずに残って出土す
るものの、草戸千軒遺跡と同様、将棋駒は
発見されていないとの旨についての、転送
に近い紹介を以下本ブログでもする。なお
前記成書では、鞆の浦の発掘でも、将棋駒
が出土したとは書いていない。
 話を戻すと尾道の発掘例については前記、
よみがえる中世・・・尾道では、203~
204ページ付近に、広島県埋蔵文化財調
査センターの、篠原芳秀氏の筆で、
西暦1975年の発掘の様子が記載されて
いる。広島総合銀行尾道支店の立替による
発掘調査をしたとの事である。遺物の分析
の結果、海岸を干拓して陸地化した地点で
あり、埋め立ては14世紀、

従って、遺物はその少し後の室町時代の
ものが、たまたま多い

との事のようであった。井戸跡があり、
木製品が出土する条件が揃っていたが、そ
れらについては、新しい物が少なく、たま
たま、陸地化した時代に近い室町時代成立
を主体としたものであったように、年代が
書いてある。つまり、尾道の1975年発
掘遺跡についても草戸千軒遺跡同様、

木製品の成立の中心が室町時代であって、
戦国時代以降の遺物が少ないと、将棋駒の
出土確率は減る

と考えると一致する結果のようであった。
なお、出土した木製品として、箸、杓子、
折敷、円形板、下駄、鉤の柄が、この広島
総合銀行尾道支店の地点に関して前記成書
では紹介されている。
 以上の結果から、室町時代に関しては、
全体としての木製品の出土割合に比べて、
将棋駒の出土例が、少ないようだという遺
跡の例として草戸千軒遺跡の他、尾道遺跡
の例などが、指摘できそうである。
 ちなみに鞆の浦の発掘調査報告もこの成
書に載っており、この遺跡では縄文時代か
ら近代までの広い時代にわたって遺物が出
土しているとの旨紹介されている。ただし
鞆の浦のケースは、今度は

木製品が腐ってしまっていて、保存状態が
良くない条件だった

との事である。
 以上の事から同じ広島県内でも、木製品
遺物の残りやすさは、当然バラバラなので、
場所により、将棋駒が出土したり、大きな
遺跡でも出土しなかったりという事が起こっ
ている事も判るようだ。
 更に成書からは次の事も判る。すなわち
昔の発掘報告書は、web上に載っていな
い場合が多くかつ、

重要度の高い場所から、調査するのが普通

なので。発掘技術は時代と共に進んでも、
めぼしいものはpdf化されていない昔に
発掘されており、報告書がweb上で簡単
に見れない事が、気づかず痛手になってい
るケースが相当有るようだ。(2020/12/08)

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