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(コラム)天文ガイド2021年1月流星予想に理論的ミス(長)

以下、御確認の上御注意ください。
流星の極めて熱心な観測者で知られ、アマチュア天体観測
低迷な現状で頑張る誠文堂新光社の月刊誌、『天文ガイド』
の長期執筆で知られる、

長田和弘氏の2021年四分儀予想記事に、ミスがある

ので御注意されたい。彼の言うように、

日本で今後、西暦を4で割り1余りの年に、極大ピークが
回ってくる事は、将来そう簡単にはない。

木星の摂動で、順行軌道のしぶんぎ座流星群のケース
は一般に、全部の流星物質の降交点黄経が後退する為、

恒星年の対1/4日に対する残渣、時間の約9分10秒が
それに吸収されて、暦4年周期で残るはずの、極大時刻の
前進が起こらないため

だ。西暦を4で割り2余りの年の主極大のパターンは、
よって、通常の単純な予想よりも、

異常に長い期間続くはず

である。以上の点、しぶんぎ座流星群の観測の際、
これ以降経年にわたって、充分御注意いただきたい。
(ふたご座アルファー流星群見ごろの頃;2020/12/14の2)

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江戸時代の松前城下町で将棋は指されたのか(長さん)

以前、北海道で安土桃山時代までは、日本
の将棋が指された痕跡が見当たらない。だ
が、北海道南端の松前藩、松前城下町の館
付近で、江戸時代には将棋が指されただろ
うとの旨を、本ブログでは述べた。
 今回は史料として探した上で、その是非
について論じる。回答から書く。

史料は簡単には見つからない

ようである。ただし、

江戸時代に北海道の松前城下町で、将棋は
恐らく指されたと推定できる根拠は有る。

では論を開始する。
 明治維新に略奪でも行われたのかどうか
私には判らないが。松前町の福山城跡等は、
発掘調査しても、大量には遺物が出ないよ
うである。将棋駒が出土したとの記録も無
いように認識している。
 しかし、少なくとも東京ないし大阪の、
将棋プロの団体が指導するようになった時
代以降に、松前町で将棋が始まったとは
考えにくい。
 根拠は、以下の書に

十勝では将棋プロが誕生した1935年
より前の明治時代中期に、将棋所の店舗が
帯広川の露天街一角に発生した

との旨書かれているからである。
『十勝大百科事典』北海道新聞社1993
その中の、”世相風俗”>”おとなの遊び”>
”将棋”。
 なお以下の書に”北海道全体で最初の、
プロ将棋棋士は花田長太郎九段で昭和初期
の西暦1935年頃に、活躍開始”とある。
『日本将棋集成』窪寺紘一、新人物往来社、
資料編Ⅲ 古今棋士人国話 北海道・東北、
347ページ。(1995)
 十勝での将棋の発生が、江戸時代ではな
く明治半ばなのは、

十勝の開拓が、江戸時代ではなくて明治時
代であるというだけ

なのではないかと、私は疑っている。江戸
時代から以降北海道では、日本語の類であ
る函館方言を話す日本人が、有る程度居る
街が出現すると、日本将棋が自然に発生す
る条件が北海道でも揃ったと見て良い、一
つの証拠なのではないのだろうか。
 なお、テーマパークのような江戸期の模
型の町が、現代では松前町に出来ているら
しい。その一角に理髪店の模型が有って、
将棋道具が展示されていると、取れるよう
な内容がweb上、松前町の観光担当のペー
ジ等に載っているようだ。恐らく私が最初
に見た情報は、松前町字西館68にある、
”松前藩屋敷”の事ではないかとみられる。
 ここで江戸時代に、松前城下町に理髪店
等があったというのは本当らしく、以下に、
記載された古文書文献の、具体的な紹介が
あるようである。
日本地名大事典 北海道、角川書店の、
松前城下町の記載中、町の暮らしに関する
記載箇所(1987)。

 よって理髪店の将棋道具の存在には、
厳密には証拠となる、史料がある訳では無
いと疑われるが。有り得る話ではあると、
一応は取れるように私には思えた。
 以上の事から冒頭に述べたように、江戸
時代になると、松前城下町で、恐らくだが
日本将棋は指されていたのであろうと、私
は推定している。(2020/12/14)

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