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和歌山県和歌山市川辺遺跡で弥生時代奔象墨書土器(長さん)

今回は、和歌山県で弥生時代とされる土器
に、かなり複雑な漢字の墨書に見える墨書
が在り、近畿内では渡来の漢王朝人住居が
広がっていたのかもしれないと疑われる
遺物の紹介である。第2字目が不明確で、

偶然模様の可能性も、無いとは言えない。

遺物の写真が、web上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
pdfファイル名は、以下の通りである。
22159_1_山口遺跡・川辺遺跡発掘調査報告書.pdf
発掘報告書の表題は以下の通りである。
山口遺跡・川辺遺跡発掘調査報告書、2005年3月、
和歌山県文化財センター。
 遺跡の場所は、末尾の抄録によると、
和歌山県和歌山市川辺、遺物が出土したの
は、西暦1999年前後のようである。
 遺物の成立年代は、第2次川辺遺跡発掘
現場の住居跡611号で出土し、共出土し
た土器カケラの模様の付け方から弥生時代
と推定されている旨が、発掘報告書の第
126ページ付近に記載されているように、
読み取れる。
 遺物の写真は、発掘報告書の写真図版
(PL.)86の第3段目左に在り、遺物
番号第138番とナンバリングされている、
土器の破片のように、私には見える遺物で
ある。

川辺遺跡奔象.gif

 上図のようにごく薄いが、中央寄りのや
や左上に、漢字の奉の字のような模様が在
りその右下に象と書いてあるように見える。

奔象という将棋駒名は有るようで、実際に
は無い。字は奉象であって将棋の弥生時代
の成立は意味しない。

が、日本人が弥生時代に「象」という漢字
が書けたのかどうかも謎である。なお、象
という字の左側に、それと重なって、もう
一字書いてあるように見え、字は写(寫)
のようにも見える。象の絵を土地の有力者
に納めるという意味かもしれないが、更に
謎である。
 そこで字を良く見ると、寫+象は誤読で、
本当は食ヘンに蒙と書いて、1字であり、

食料を大量に奉納する

の意味だと解釈する方が、自然である。
 ただし、

食ヘンに蒙という、web上で、ブログに
表示さえ出来ない特殊な字が、当時日本人
に書けたとしたら奇跡

なように私は考える。前記どちらの解釈に
しても、漢王朝人が弥生時代に和歌山県に
居て、自国の言語で墨書したとしてしか、
説明の出来ない漢字墨書である。
 もともと第2字目が薄いので、象、寫、
食へんに蒙は、全部間違いで、奉だけ1字
が書いてあり、後は偶然模様であって、
日本人筆なのかもしれないと、ひとまず
結論しておくが。

意味が一応通るだけに、奉+食へんに蒙で
「ホウモウ」も、可能性ゼロとまではいか
ない

のも確かであろう。(2022/04/02)

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