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長崎県雲仙市十園遺跡で奈良期歩行墨書土器

今回は、長崎県雲仙市の古代製鉄跡遺跡で、
漢字で歩行と書かれているとも取れる模様
のある、字そのものが奇妙な奈良・平安期
の墨書土器破片を紹介する。鉄鋼石発掘に
関連した古代の、陰陽五行道祭祀に伴う遺
物で、

「月が星(近くを)行く」との天体観察
結果を書いたもの

と見られる。
 遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
pdfファイル名は、以下の通りである。
46606_7_十園遺跡.pdf
発掘報告書の表題は以下の通りである。
国見町文化財調査報告書(概報)第4集:
十園遺跡、2004、長崎県雲仙市(当時;
国見町)教育委員会。
発掘報告書第2pdf冒頭の例言によると、
遺跡の場所は長崎県南高来郡国見町。
話題にする遺物は全部西暦2000年前後
に出土した物のようである。
 成立年代は、発掘報告書第3分冊の奈良・
平安時代のところにまとまって記載されて
いて、第12~14区の1番土坑(SD)
より出土し、奈良・平安期に成立したと見
られているようである。
 遺物の写真は、前記発掘報告書第7分冊、
写真図版第20:”12~14区SD01
出土土器(土師器類・坏類:スケッチ図
第47ページ32図)の下段の右から2番
目に有り、遺物番号第49番との旨、
ナンバリングされている。今回は全部そう
だが、坏類土器の破片のようである。

十園歩行.gif

 上図のように、右下に行の字が見えその
上に、大きさが不揃いで、やや小さいが、
歩のように読めて、漢字で

歩行と書いてあるようにも見える。

 将棋駒名の歩兵と角行を組み合わせたよ
うな単語だが、意味はこれでは不明であり、
奈良時代等に、将棋が伝来していた事は、
示唆しないだろうと、一応言える。
 そこで、同じ12~14区の第1番土坑
で発掘された坏類土器の写真を見てみると、
その2つ上の写真図版18に第6番土器の
オモテ面と、第7番時のウラ面に、以下の
ように、奉王、奉山と漢字で書かれている
ような模様が有るのに気がつく。

十園6奔王.gif

上は6番目で図版18の右下2段目に在る。

十園7奉山.gif

上は7番目で図版18の右下隅に在る。
 特に7番目から、山岳信仰や鉱脈探索を
する修験者の類の雲仙岳信仰が連想され、
陰陽五行に基づく鉱脈の発見を目指して、
月星の相互接近すなわち会合現象等を観察
していたのではないかと私には想定される。
 つまり、第49番遺物の

「歩」は誤読であり星マークが書いてある

という事である。またその左側の月模様は、

実際に月と読ませようとしており、月が星
の近くを通過した事を示している

のではないかと疑う。それに対して五行説
から説明を付け、それを拝して例えば現地
に在ると見られた鉄鉱脈が自分たちによっ
て発見できるように、諸々の先祖神に祈っ
たというシリーズ物の遺物ではないかとい
う事になる。そしてナンバー第6番の奉王
は、鉱脈が実際に発見され、鉄等が無事に
精錬された、あかつきには製品等が、朝廷
にも納められていた事を示しているのでは
ないだろうか。
 将棋とは間接的に関連するが、本ブログ
では、古代の鉱山採掘は陰陽道の陰陽五行
の五行に則り、相克等の「原理」に従い、
金や貴金属・鉄鉱石が有りそうなところを
探すという方法を取っていたのだろうと、
以前にブログ内で指摘している。
中国シャンチー朝鮮チャンギと違って将棋
が五角形駒で普及したのも、元々は火山国
で、鉱山・鉱脈が古代には豊富で、探索者
が、国の内外に居て、かなり盛んだったか
らだろうと見る。
 特に今回の遺跡は、雲仙岳に近いので。
鉄鉱石の採掘は、昔から盛んだったようで
あり鉱脈探査を業といる修験者も多く居て、
祭祀を目的とした墨書が疑える、今回紹介
した遺物も残したという事なのではないか
と、個人的には想像している。(2022/04/04)

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