SSブログ

宮城県大和町一里塚遺跡で藤原京期走馬木製鋤(長さん)

今回は、土器ではなくて鋤の形の木製の遺物
に、漢字で走馬と書いてあるようにもいっけ
ん見える、出土遺物の紹介である。

「高臺」と書いてあるように見え不明確

である。
 遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所の発掘報告書データベース
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
pdfファイル名は、以下の通りである。
9840_1_一里塚遺跡-第44・47次発掘調査報告書-.pdf
発掘報告書の表題は、以下の通りである。
宮城県文化財調査報告書第179集一里塚遺跡、
西暦1999年3月、宮城県教育委員会・宮城県
土木部。
 遺跡の場所は、発掘報告書末尾の抄録によ
ると、宮城県黒川郡大和町吉岡字東柴崎・
吉田字桧木地等との事である。
 遺物が出土したのは、同じく抄録によると、
第47次発掘の1997年の集落部跡調査の
ときのようである。
 遺物の成立年代は、発掘報告書まとめの、
第146ページ付近の記載によると、7世紀
後半から8世紀頭の藤原京時代のようである。
 遺物の写真は発掘報告書の図版第36:”
木製品・土製品・凝灰岩製支脚・凝灰岩切石”
との旨の、左上に2枚並んで裏表の写真が有
り、どちらがオモテ面か、私にはよく判から
ないが、右側の面の写真の方に、漢字のよう
にも見える模様が有るようである。

一里塚遺跡走馬.gif

 私には鋤のシャベル状の部分を材木を削っ
て作成した物品に書いた字のように上図は見
え、シャベル部の中央上に、いっけんすると
「走」、左端の方に「馬」と書いてあって、
大局将棋の走馬のようにも見える。

が、意味はほぼ不明

である。そこで、字を良く見ると、

走は誤読で、台の旧字である臺

のようにも見えてくる。馬も、このケースは
はっきりせず、実は左が第1字目であって、
左から右に読み「高台」との旨が書いてある
だけかもしれない。

鋤を使う場所を、書いて指示した

のであろうか。官営跡が第44次発掘で検知
された場所から数百メートル地点のようなの
で。識字層が居て、本品のような、文字史料
を残したという事なのかもしれない。木に、
将棋関連の文字が書いてある、比較的珍しい
例かと思ったが、よく見ると、このケースは
読み間違いだったようだ。(2022/04/12)

nice!(4)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー