SSブログ

青森県五所川原市十三盛遺跡で平安期奔王墨書土器

今回は、奔に似た奉が第1字の奉王墨書の
例であるが、黒地に白い色材で書いてある
ように見える、変わった土器について報告
する。

朝廷に献上する為、容器の飾りにも青森県
五所川原市の遺跡の住人は平安時代に気を
使った

のだろうか。
 遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
pdfファイル名は、以下の通りである。
32750_2_十三盛遺跡.pdf
発掘報告書の表題は以下の通りである。
五所川原市埋蔵文化財調査報告書第33集、
十三盛遺跡、2013年3月、五所川原市教育委員会。
 発掘報告書末尾の抄録によると、遺跡の
場所は、青森県五所川原市大字長橋字広野。
遺物が出土したのは、西暦2010年前後
のようである。十三盛遺跡は、著名な
十三湊遺跡の南20キロ前後の所にある。
時代は互いに関連しないようである。
 遺物の成立年代は、冒頭に遺跡が平安期
のものであると記載され、その時代のどこ
かだと解釈できそうである。将棋の遺物は、
初期のものなら出土しても良い時代である。
この回の発掘で、材木や下駄なども出土し
たが、近世の遺物が混在しているらしい。
 遺物の写真は発掘報告書の写真図版第
180番:”遺溝(SK)(2)出土遺物”
の上段右に、大きく甕の形で写され、遺物
番号第2873番とナンバリングされ、
土坑の第33番から出土との旨
が付記されている。

十三盛奔王.gif

 上図のように、中央に煤ヨゴレに埋もれ
ているが、大きく奉王と

白い字で書かれている

ように見える。良く判らないが。右上の模
様は、太陽の絵だろうか?
 煤を一面に載せた後、何かで削ったのか、
どうやって作成したのかは、私にはよく判
らない。
 土器に直接墨で書くよりは、新品の状態
では、見栄えがしただろう。青森県から
京都市へ送る物品としては、そうした方が、
受け取る側は、ありがたみが増した、きら
びやかな時代だったのかもしれない。何を
入れたのかは謎である。
 日本の中世後期南北朝時代から後頃には、
東日本でも陶器の出土が多発する。しかし、
素焼きの土器であっても必要に応じて、
何らかの加工をする事は、奥州でも古代に
既に、行われていたようだという事が判る
ように思える。(2022/04/05)

nice!(3)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー