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会津若松市鶴沼B遺跡”歩悪”墨書土器に”竪”(長さん)

今回は以前紹介した”立馬歩奔王・玉”墨書
土器の発掘時にそれとは別に、古代の流路跡
から出土したとされる、”歩悪”土器の”悪”
の字の右下に、”竪”と書いてあるように見
え、第3段目袖に角行竪行悪行と並んでいて、
横行の無い西暦1230年頃の94枚制大将
棋(後鳥羽上皇期大将棋)の亜種が存在した
のではないかという話題である。会津若松市
鶴沼B遺跡の2013年の発掘では、以下
”立馬歩奔王・玉”土器、”歩悪”土器、
”縦線不足亜”土器の3つの将棋関連疑墨書
遺物が出土していて、今回は真ん中の遺物に
関する話題である。
 以上の3遺物を記載する発掘報告書名は、
会津縦貫北道路遺跡発掘調査報告14
桜町遺跡(5次)・西木流C遺跡(2次)・
西木流D遺跡(1次)・鶴沼B遺跡(1次)、
2014、福島県教育委員会。
pdfファイル名は、以下の通りである。
23464_1_会津縦貫北道路遺跡発掘調査報告.pdf
 今回再考した遺物は、発掘報告書に遺物の
写真が有り、発掘報告書の図版42:”
南区1号流路跡出土土師器”の左下隅に存在
して遺物番号(スケッチ図第50番)の19
番とナンバリングされ、土器の破片である。
 その写真の、不鮮明に漢字の悪に見える、
色相が煤のような模様の有る、左下の部分を
拡大すると以下の図のようになる。

鶴沼B歩悪竪拡大.gif

 悪の字の右下にズレて、別の煤の塊のよう
な模様が在り、はっきりしないが輪郭が、

どちらかと言えば”竪”の字に似ている。

これと、歩に見える模様の3字を、それぞれ、
歩兵、悪行、竪行の存在する大将棋を示して
いるのだと見れば、真ん中2段目の横行は、
会津若松市のケースは非存在、鎌倉市で鎌倉
時代に指すときには存在させるとして、
前に示した96枚制の後鳥羽上皇期大将棋の
モデルで、袖に悪行を置くタイプも否定でき
ないとの結論になる。以下は鎌倉市型である。
段目
⑤空升、空升、空升、仲人、空升、空升、空升、空升、空升、仲人、空升、空升、空升
④歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵
③飛車、悪行、竪行、角行、龍馬、龍王、奔王、龍王、龍馬、角行、竪行、悪行、飛車
②反車、飛龍、空升、空升、猛虎、空升、横行、空升、猛虎、空升、空升、飛龍、反車
①香車、桂馬、鉄将、銅将、銀将、金将、玉将、金将、銀将、銅将、鉄将、桂馬、香車
上記の配列図のように、竪行の近くに、悪行
を置く、棋譜を遺物は連想させる為である。
なお鎌倉市横小路遺跡で発掘された悪行駒が、
本ブログの管理人には、いまや既知な為、

今回紹介した墨書土器の「悪」は、実在する
将棋種を示している可能性もある

と認識出来るようになった。小山若犬丸が
断末魔の合戦の折に、部下から小山悪四郎と、
系図上の名称で呼ばれていて、それに因んで
いてもい無くても、特にどちらでも構わなく
なったという意味である。あるいは、悪行駒
の入った大将棋を知っていさえすれば、西暦
1230年型大将棋を指して、土器に悪戯書
きする人物が、南北朝時代の小山氏の乱:西
暦1397年時点の、懐古主義者の兵士で無
くても、特に構わなくなったとも言える。
 ただし以上の事は、系図上で小山若犬丸が、

小山小四郎では無くて、小山悪四郎と記載さ
れるようになったのが、大将棋を所持してい
てかつ、悪行を働いた人物とされた為である

という議論を、格別に否定するものでも無い。
繰り返すが、小山市神鳥谷では悪行・竪行族
の駒である成一文字金角行駒が出土している。
 何れにしても上図のように、この土器の模
様自体が曖昧で、議論に不確定性が依然大き
いのであるが。
 仮に悪と竪が書いてあるとすれば、96枚
制の、後鳥羽上皇期大将棋の2つのモデルは、
上記の配列図で、横行と悪行が、悪行と横行
になる、もう一つの場合も含めて、どちらも
在り得えそうだと考えざるを得ないと、現時
点で私は認識する。(2022/04/19)

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