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山形県酒田市上ノ田遺跡で9C金七仲人墨書土器(長さん)

今回は、将棋が伝来する少し以前成立で、
山形県の城柵に近い地点の遺跡で、
「金七仲入」等と読める、墨書土器遺物が、
相当以前に出土していたとの旨の話題で
ある。

倉家と読まれたが、写真と大きくズレ、
「奉金七(つ)中入(れ)」の意図

かとも見られる。金品を城柵や朝廷に、
納めたという意味であろうか。
 遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
pdfファイル名は、以下の通りである。
5840_1_農林・土木事業関係遺跡発掘調査報告書.pdf
発掘報告書名は、以下の通りである。
山形県埋蔵文化財調査報告書第52集
農林・土木事業関係遺跡発掘調査報告書、
西暦1982年、山形県教育委員会。
発掘報告書第1ページの遺跡の位置と環境
によると、遺跡の場所は山形県酒田市
境興野字上ノ田。遺物が出土したのは西暦
1978年前後の事のようである。
 遺物の成立年代は、土溝第401号で
出土したが、土器の形から、9世紀~10
世紀と推定されているとの旨が発掘報告書
の、第33ページ付近に記載されている。
 遺物の写真は、発掘報告書写真図版12:
”上ノ田遺跡 上ノ田遺跡墨書土器(1)”
の左上に在り、遺物番号第109番との旨、
ナンバリングされている。皿型の土器の裏
面に、明らかな墨書が有り、発掘報告書で
も、墨書土器として紹介されているという
事になる。

上ノ田金七仲人.gif

 上図のように、かなり明確に「金七仲入」
のように読めると私見される墨書土器皿の
ように思われるが、発掘報告書には金を倉、
七仲入を家と読んだとの旨の説明の有る、
スケッチ図が描いてある。そして写真とは、
第1字にしてもそれより以降にしても、あ
くまで私見だが、

第109番遺物に関しては特異的に、その
スケッチ図と遺物写真との間に、かなりの
ズレが有る

ように見える。
 また更によく見ると、

金の前に、「奉」の字が薄く有る

ようであり、金貨7枚を、城柵に対してか、
或いは朝廷に対して、納めたような意味で
あると取れると考える。

 仲入は、仲人等では無いから、9世紀
前後の大将棋等の成立は、意味してい無い

のであろう。仲入は「皿の中に入れた」と
の意味かと見られる。
 東北で砂金等の鉱脈が、かなり広範囲に
存在したということではなかろうか。当時
は、神仏祭祀と納税が、言うなれば習合し
ていたという史実の証拠という事であろう。
(2022/04/25)

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