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宮城県仙台市養種園遺跡で近世成立王将墨書陶器(長さん)

今回は湯のみ等の、恐らく使い古し食器の
内側の白い部分に、将棋駒名の漢字を習字
をしたように見える。恐らくだが江戸時代
成立と見られる墨書遺物が城下町の仙台市
で発掘されているという話題である。なお、
場所は、江戸時代の絵図の国分小泉御屋敷
の池と見られる地点であるという事である。
 遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
pdfファイル名は、以下の通りである。
9895_1_養種園遺跡.pdf
報告書の名称は、以下の通りである。
仙台市文化財調査報告書第214集養種園遺跡、
1997年3月、仙台市教育委員会。
 遺跡の場所は、発掘報告書末尾の抄録に
よると、宮城県仙台市若林区南小泉一丁目。
 遺物が出土したのは発掘報告書第6ペー
ジ「調査の経過」から、1991年前後の
事のようである。
 遺物の成立年代は、伊達藩の別荘が出来、
城池が存在したのが17世紀後半であり、
江戸時代と考えられるようである。
 遺物の写真は発掘報告書の写真-61の
4とナンバリングされたカラムにあり、第
4カラムは、第Ⅲ(城池)地点の西第Ⅶ区
出土遺物3例との事である。今回紹介する
遺物は3つ並んだ内の右2つであり、遺物
番号は発掘報告書の231ページによると、
419番ないし、430番のようであるが、
どちらがどちらか私にははっきり判らない。
 一方は戦国期の陶器とされるようである
が、文字を書いたのは、17世紀の池が出
来た頃であろうと、私は個人的に推定して
いる。

養種園王将.gif

 上図は、中央の陶器の恐らく内面で、
ヨゴレが多いが、右上に大、下に将が目立
ち、よく見ると大の下に一、将の上に王と
漢字が在って「大一王将」のように読める。

養種園王門.gif

 次の図は第1遺物と同じく縦に読むと、
王門(改行)王のような漢字が書いてある
ようにも見える。2個の遺物から、習字が
私には連想される。
 そして第Ⅲ(城池)区第2トレンチから、
以下のような類似の陶器が出土していると、
写真-60に載っている事からも、更にそ
の感が強くなる。

養種園金将.gif

 上図は、写真-60第12カラムの”第
Ⅲ(城池)区第2トレンチ”から出土した
とされる遺品陶器の左上のものであり、3
文字で「王金将」と漢字で、内側の空白面
に習字したようにも見える。
 伊達藩仙台城からは既に将棋駒が出土し
ているので、城の中で将棋は指されたので
あろう。が場所に関係なく、別荘等至る所
で将棋が趣味の武士が大勢いて指したり、
将棋駒作りをしたりしていた事を、こうし
た遺物は示していると見なせる疑いが、濃
いのではないかと私は思う。(2022/04/11)

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