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宮崎県宮崎市源藤遺跡で弥生末奔王墨書土器(長さん)

今回も弥生時代の、最末期3世紀末に奉王
の漢字が、九州の宮崎県宮崎市付近で成立
していた事を示唆する、壷型土器遺物出土
の話題である。
 遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
 pdfファイル名は、以下の通りである。
3589_1_源藤遺跡.pdf
 発掘報告書名は以下の通りである。
源藤遺跡/宮崎市文化財調査報告書、
西暦1987年、宮崎市教育委員会。
 発掘報告書冒頭第1ページ「遺跡の立地
と環境」によると、遺跡の位置は、宮崎県
宮崎市源藤町源藤。話題にする遺物が出土
したのは、同じく第1ページによると西暦
1985年前後の事のようである。
 遺物の成立年代は、発掘報告書の第39
ページ付近の記載によると、遺物は第22
号住居跡で出土したが、出土土器の形態か
ら、弥生時代最末期の、3世紀末前後と見
られているように取れる。
 遺物の写真は発掘報告書写真図版第48
:”第22号住居跡出土遺物”の左下に在
り、第33番スケッチ図の第4番土器との
旨のナンバリングがある。

源藤遺跡奔王.gif

上図のようにかなり淡いが、奉王と中央に
大きく漢字で書いたような、煤のような模
様が在る。将棋の奔王では無くて、奉王の
ようである。それにより、

弥生時代の最末期の、宮崎県での奉の字の
既成立を示唆

しているように、私には受け取れる。何を
献上したかだが、左の方にはっきりしない
が、銀等と書いて在るようにも見える。貴
金属鉱脈が、当時宮崎市付近に存在したの
であろうか。何れにしても。
特にこの遺物については、奉王の字が、
ゴシック体で、整った字で書かれているの
が印象的だと私見する。少なくとも3世紀
末に日本に専門の、祭事用等の神官が存在
した証拠なのであろう。(2022/04/22)

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