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宮城県仙台市下飯田遺跡で飛鳥期奔軍墨書土器(長さん)

今回は、奉墨書土器ではあるが、奉るのが
王ではなくて、蝦夷討伐軍ではないかと
疑われる奉軍と読めるような煤模様のある、
仙台市出土の土器遺物を紹介する。
 遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所の発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
pdfファイル名は、以下の通りである。
9419_1_下飯田遺跡発掘調査報告書.pdf
 発掘報告書名は、以下の通りである。
仙台市文化財調査報告書第191集
下飯田遺跡発掘調査報告書、西暦1995年、
仙台市教育委員会・日本道路公団。
発掘報告書末尾の抄録によると遺跡の場所
は、宮城県仙台市若林区下飯田。同じく抄
録によると、話題にする遺物が発掘された
のは西暦1991年前後の事のようである。
 遺物の成立年代は、第4河川跡第11層
から問題の土器は出土し、この層の成立
年代が出土遺物の形から、7世紀後半の
飛鳥時代と考えられているように、発掘
報告書の198ページ付近の記載からは読
み取れる。なお律令時代に、ここより
3.5キロメートル程度西南西の地点に、
神柵遺跡という遺跡名称で知られる官営跡
があるとの事である。
 遺物の写真は、発掘報告書の写真図版第
26:”土師器(D群)”の最下段右側に
有り、スケッチ図第221図の第97番土
器との旨等の注釈がある。甕のような形の
土師器のように、私には見える。

下飯田奔軍.gif

 上図のように、いっけんして、中央やや
右の所に、「軍」と書かれているような、
漢字の模様に見える煤のように黒い模様が
在り、更に単語を作ろうとすれば、左すこ
し上に、第1字として奉と漢字書いて有る
ような、やや薄い模様が有る。
 大局将棋に右軍・左軍という名の将棋駒
が在るが、奔軍は無い。しかも第1字目が
奔では無くて、奉なので、この飛鳥時代の
遺物は、将棋とは関連せず、

大宝律令等の規則とは別に、蝦夷討伐目的
等の大和朝廷軍隊に対し、仙台市の住民が、
何らかの奉納品を差し出した事

を示しているようにも見える。過去本ブロ
グで紹介した範囲では、甕のケースには馬
である事が多かったが。写真面から明確に、
付帯の馬用水桶等であるとの証拠となる
墨書きは、少なくとも私には、今の所特に
検知出来てはい無い。
 何れにしても、古文書以外に出土遺物か
らも、飛鳥時代の歴史が示されている可能
性が高い事を例示する物品として、比較的
判り易い例のように私には思える。
(2022/04/16)

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