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富山県高岡市中曽根遺跡で室町期摩訶大将棋簪飾り(長さん)

今回も、本ブログの主題に隣接する、
摩訶大大将棋/摩訶大将棋に関連する
遺物出土の大きなニュースである。
 web上に、この記事のほぼ20日ほど
前に公開された。

曼殊院将棋図成立の頃、摩訶大大将棋が
存在しており、成り規則の一部に、フレ
が有った

とみられる。駒名は、

「成り奔車の香車」でありそれががモデル
のカンザシ飾り

とみられている出土品である。
 裏面の文字を、普通の日本将棋の香車の、
崩した一文字金で発掘報告書では読もうと
したために、大阪電気通信大学の高見友幸
氏のブログを含めて、公開1か月満たない
現時点で、ほかのwebサイトでコメント
されている形跡は見い出せないようである。
じきに話題になるだろう。ともあれ。
 遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
pdfファイル名は、以下の通りである。
115690_1_中曽根遺跡発掘調査報告.pdf
 発掘報告書の表題は以下の通りである。
富山県文化振興財団埋蔵文化財発掘調査報告第78集
中曽根遺跡発掘調査報告、2022年、公益財団法人
富山県文化振興財団埋蔵文化財調査課。
 発掘報告書末尾の抄録等によると、遺跡
の場所は富山県高岡市中曽根。遺物が出土
したのは、西暦2019年~2020年
前後の事のようである。この遺跡は以前か
ら良く知られていて、発掘報告はこれが初
めてでは無い。
 遺物の成立年代は、遺物が土溝(SD)
第50番より出土して、発掘報告書「総括」
の163ページから13世紀から16世紀
の間と取れる記載がある。平均して、西暦
1443年近くの、曼殊院将棋図成立とさ
れる、室町時代前期15世紀初とみなして、
今回は議論する。発掘報告書第164ペー
ジ付近に、出土遺物の成立年代表等が記載
され、幾つかの土溝(SD)50番遺物包
含層出土物が、この時代のものとされるよ
うである。
 遺物の写真は発掘報告書の(写真)図版
40:”土器・陶磁器 土製品 金属製品
SD50(191)包含層”の右下に在り、
左が将棋面としてのオモテ、右がウラと、
解釈されているようである。遺物番号は、
第402番とナンバリングされている。
カンザシの飾りが、将棋駒になっているよ
うである。

中曽根香車.gif

出土遺物としても、比較的珍しいカテゴリー
の物品であると、本ブログの管理人は認識
する。
 そして上図のように、オモテ面は香車、

ウラ面に奔車とかなりはっきり書いてある

ように私見される。発掘報告書では繰り返
すとオモテ面香車、ウラ面不明。ただし、
一文字金が普通で、金が崩されているので
はないかとの旨のコメントが、あるように
読み取れる。

未発見の将棋亜種だが、奔駒を成りとして
いる事から、摩訶大大将棋/摩訶大将棋と
見なせると、ほぼ断定できる

ように私には見える。摩訶大大将棋等では、
香車の成りは、従来の文献史料からは日本
将棋と同じで金将であり、一文字金と、
水無瀬兼成の将棋纂図部類抄で表現される。
 奔車は反車と同じ駒の使い方規則であり、
摩訶大大将棋が成立した初期には、最下段
の成を金将より袖は、統一的に奔駒にする
案も有ったと見るのは、余り不自然では無
いのであろう。
 曼殊院将棋図の現存品が無いため、不確
定性がこれまで大きかったが。少なくとも
水無瀬将棋図よりも前の時代の、戦国時代
以前に摩訶大大将棋や摩訶大将棋は有り、

曼殊院将棋図に摩訶大将棋/摩訶大大将棋
が記載されていたのが本当である可能性が、
以前より、更に高くなって来たと見るべき

であろうと私は考える。(2022/04/14)

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