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鎌倉市横小路遺跡出土悪行が大将棋に導入できた経緯(長さん)

本ブログでは西暦2017年前後に神奈川県
鎌倉市の横小路遺跡で出土した悪行駒は、
後鳥羽上皇期大将棋の、2段目中央に配置され
たか、または横行の移動先である、袖の3段目
に、西暦1230~1250年の親王将軍又は
宮将軍誕生の頃まで配置・存続されただろうと
見てきた。その後は太子である釈迦と摂家将軍
=玉将、親王将軍=王将を比較して、後二者の
対モンゴル帝国戦に関するご利益の無さを揶揄っ
た成太子酔象との交換により、横行と酔象の組
み合わせが、悪行に代わって引き継いだはずで
ある。
 元に戻すと。すなわち初期配列は、全部不成
と見てオモテ面だけ書くと、前者の場合、
段目
⑤空升、空升、空升、仲人、空升、空升、空升、空升、空升、仲人、空升、空升、空升
④歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵
③飛車、横行、竪行、角行、龍馬、龍王、奔王、龍王、龍馬、角行、竪行、横行、飛車
②反車、飛龍、空升、空升、猛虎、空升、悪行、空升、猛虎、空升、空升、飛龍、反車
①香車、桂馬、鉄将、銅将、銀将、金将、玉将、金将、銀将、銅将、鉄将、桂馬、香車
後者の場合、
段目
⑤空升、空升、空升、仲人、空升、空升、空升、空升、空升、仲人、空升、空升、空升
④歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵
③飛車、悪行、竪行、角行、龍馬、龍王、奔王、龍王、龍馬、角行、竪行、悪行、飛車
②反車、飛龍、空升、空升、猛虎、空升、横行、空升、猛虎、空升、空升、飛龍、反車
①香車、桂馬、鉄将、銅将、銀将、金将、玉将、金将、銀将、銅将、鉄将、桂馬、香車
となる。
 今回は、将棋は囲碁と同じく暦法に則って、
24節気、72候、その和の96、12か月や、
その3倍数の36、96の2倍の192、節気・
候・月数の和の108、等々を将棋駒総枚数と
して選択すべきといった、シキタリを重んじる
上流階級の96枚制将棋で上記どちらの配列を
取るにしても、どうやって特に、悪行駒が割り
込んで導入出来たのかを議論する。つまり横行
6枚は、初めから想定され無い理由を考えると
いう意味である。
 というのは、一見すると割り込めないように
も見えるからである。というのも割り込めそう
に無い要因として、
①上の配列では、権威が当時あったと見られる
二中歴の「横行中央第2段」シキタリに反する。
②下の配列では、余りに、はびこりすぎたので、
後鳥羽上皇の命令で親鸞が配流されるほど優勢
な阿弥陀経の教えで、竪と横とが対で並ぶとい
う配列のもっともらしさが、安易に排除される。
 以上の難点が有るからである。
 最初に回答を書くと、賭博場の常連の間で、

将棋マニアの自虐的表現として当時ウケタから

だと考えられる。根拠としては海龍王寺制規が
同時代ないしその前に成立しており、賭博に絡
んで、修業の妨げになったり用具の売却につな
がる等問題があった為もあり、囲碁将棋は強く
禁止措置となっていたし、修行の時間が、遊び
呆ければ、その分割かれるのは自明だと見られ
る点が挙げられる。
 しては恥ずかしい行為である事が、その行為
自体である囲碁・将棋ゲーム最中に明示されて
いるような、将棋駒種を敢えて付け加える事に
より、

少しでも罪を逃れようとする意識と、自虐的笑
いが遊戯場全体で巻き起こり、座が和んだり盛
り上がるという「逆効果」が期待出来るから、
敢えてそうしたと

いう、コミカルな発想があったという、そのよ
うな意味である。
 さて、そうした観点から初期配列図を見直す
と、権威有る

二中歴の平安大将棋の配列の2段目中央を否定
したとしても、最初の配列の方が悪行が真ん中
で目立つ分、難点は補って余り有るとみられる

事が判る。敢えて親鸞の布教法を打ち消したよ
うな、下の配列はメリットが少ないだけという
事だから、上の配列の方が、実際には採用され
るケースが多かったと、よくよく考えてみると、
予想出来るのではないかと思うようになった。
 なお、悪行と角行とを比較したときに、
Akugyouという音とKakugyouと
いう音とは一音違いな為、角行発明発端経緯の
少なくとも噂話として、悪行が角行よりも先に
発明され、

動かし方ルールとの引っ掛けによる分かり易さ
から角行だけ先に平安末成立した可能性が高い

ように、私には推定される。
 ゲームとしての出来はさて置く事にして、賭
博場の座の盛り上がりを考えると、94枚制の
後鳥羽上皇期大将棋の2段目中央の、広く空い
た場所に悪行を置くと、24節気+72候の
96枚制になって、ちょうど良いし面白いと、
特に上流階級の屋敷を使う賭博場では考えられ
るようになって「馬鹿笑い悪行入後鳥羽上皇期
大将棋」が成立・駒出土したのではないのだろ
うか。
 皆がその笑いに飽きて、成太子酔象を2段目
中央に入れた親王将軍誕生の頃まで、以上のよ
うにして94枚制を、96枚制に直した大将棋
が、京都や鎌倉の上流階級屋敷の賭場等では指
されたのかもしれないと、私は現時点で推定す
るようになって来ている。(2022/04/08)

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