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三重県亀山市大鼻遺跡で南北朝期奔金墨書土器(長さん)

今回は、三重県亀山市の遺跡で鎌倉時代末から
南北朝期にかけての、カワラケ型の土器に漢字
で「奉金」と書かれているように見える遺物が、
出土したと旨の紹介である。

奉金であり、奔金では無いので、摩訶大大将棋/
摩訶大将棋の、13世紀後半以前の成立の証拠
となる遺物では無さそう

である。
 遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が
奈良文化財研究所発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
pdfファイル名は、以下の通りである。
20491_2_大鼻遺跡.pdf
発掘報告書の名称は、以下の通りである。
三重県埋蔵文化財調在報告100-5
大鼻遺跡、1994年3月、三重県埋蔵文化財センター。
 発掘報告書冒頭の例言によると、遺跡の場所
は、三重県亀山市太岡寺町字大鼻等。遺物が出
土したのは、西暦1985年~1990年の間
のようである。
 遺物の成立年代は、発掘報告書の第158ペー
ジによると、第45号溝より出土したが、宋銭
が出土しておりそのタイプから、13世紀後半
以降と考えられているようである。ここでは、
13世紀後半の可能性が有るとしておく。
 遺物の写真は、発掘報告書第171番写真図
版(PL)の右上最上段に在り、遺物番号第
1678番とナンバリングされていて、杯状の
土器、あるいはカワラケのように私には見える。

大鼻遺跡奔金.gif

 上図のように中央左に、やや薄く漢字で奉と
書いてあるようにも見え、その更に左に金と書
いてあって、「奉金」と読めるようにも見える。
冒頭にも書いたが、

第1字目は奉であって奔では無さそうなので、
摩訶大大将棋/摩訶大将棋の13世紀半ばの成
立を証明する史料にはならな無い

ように、私には見える。
 近傍の河川で砂金がかつて、取れたのではな
いだろうか。
 荘園領主の金蔵が、近傍に存在したのかもし
れないと私は疑う。(2022/06/04)

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